「オーディオ評論」はなぜ滅びたか?

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ITmedia ライフスタイル:「オーディオ評論」はなぜ滅びたか?

結局のところ、自分の絶対値を信じて順番に試していくオーディオや映像機器の“横並び評論”は、単に“評者の好み”でしかあり得ない、ということになる。そんな個人的なことで優劣を決めたものが、別の個人の役に立つのだろうか。

そんなことは今更言うまでもない”了解事項”だろう。

オーディオに限らず、横並びのレビューは入門者の為にある。 レビューで高評価だからといって、自分に最もあっているとは限らないが、少なくとも大ハズレを引いてしまうことはない。
そうして経験を積んでいくと、自分の好みも把握できてくるし、評論家の評価の内容や、評論家自身の傾向も掴めてくる。 「この評論家が言うことなら信用できそうだ」とかね。

一方ネットの世界で、お布施は高ければ高いほど効き目があるみたいなレベルから脱却する動きが出てきているのは、うれしいことだ。ヘッドホンで言えば、まず黙って10万円オーバーの高級モデル買わないとダメみたいなことじゃなく、KOSSの「PortaPro」やSENNHEISERの「MX500」ってイイね、みたいなムーブメントは、ネットの掲示板から盛り上がってきた。

確かにインターネットの普及で、口コミが広がりやすいのはあるかも。 でも、自分がオーディオにのめり込んでいた頃だって、NIFTY-Serveなどのパソコン通信はあったけど、BBS上で実のある話にはお目にかかれなかったけどな。

この動きの強みは、多くの人が実際にそのモノを自腹で買って試した結果だという“強い自信”が存在することである。こうして普通の人々が自分の好みを堂々と主張できるようになった段階で、聞こえない音を文字で表現する詩人のようなオーディオ評論の役目は終わったと言える。

音の捉え方は個人的な違いが大きいから、どこの誰だかわからないヤツの評価が、自分の評価軸と合ってるかなんて分からないじゃん。 信用度では雑誌のレビューと五十歩百歩じゃないかな。

ヒョーロン家の衰退は、自動車雑誌でも90年代中ごろから叫ばれているので、別にオーディオに限ったことじゃないよ。 でもフェラーリやマーク&レビンソンをとっかえひっかえ自腹で買える人はめったにいないので、評論家が滅亡することはないだろうね。