中村とうよう、自宅から飛び降り自殺

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asahi.com(朝日新聞社):音楽評論家の中村とうようさん、自宅から飛び降り自殺か - 社会

21日午前10時15分ごろ、東京都立川市柴崎町2丁目の10階建てマンションの敷地内で、8階に住む音楽評論家の中村とうよう(本名・東洋)さん(79)が頭から血を流して倒れているのが見つかった。中村さんは市内の病院に運ばれたが、まもなく死亡した。警視庁は自宅の腰高窓から飛び降り自殺をしたとみている。
 
立川署によると、中村さんは一人暮らし。署員が駆けつけた時、自宅玄関には鍵がかかり、室内に自殺をほのめかすメモがあったという。
 
中村さんは「ミュージック・マガジン」の元代表取締役で、武蔵野美術大の客員研究員を務めていた。
 
21日に複数の知人に「それではみなさん、さようなら」などと書かれた手紙が届いた。

24年も前ですが、先輩が『ミュージック・マガジン』と『レコード・コレクターズ』の熱心な読者でした。 今もあるんだっけ?

中村とうようさん自死の意味 「音楽評論家」もういらないのか? (2/2) : J-CASTモノウォッチ

音楽評論というジャンルは、すでに20年も前に枯死している。音楽を評論するということの無意味さをリスナーが声高に言い始めた時があった。「好き嫌いで良いじゃないか」と。それはその通りで、ことに音楽という嗜好品に近い表現はそれ以外の存在意義もみいだせないほど。ただ、評論の対象になリうる音楽というものも存在するのは確かだ。
   
中村とうようさんは、音楽評論という表現の場が失われたことに絶望したわけではないだろう。無理矢理にそうした場をこじ開けることだって、中村さんならできたはず。本当に何があったのだろう?
   
自死することの意味は、限りなく重い。例えどんな場合であっても、決して選んではならないと、多くの宗教は戒める。それを敢えて選ばなければならないほど切迫した状況とはどんな状況だったのだろう?
   
ただ、ご冥福を祈るしかないが、その意味を考えざるを得ない。
   
中村さんの死で音楽評論という表現が、決定的に死滅したように思う。

確かに評論を必要としたのは80年代までかもしれないね。