河添元社長は、1997年の総会屋への利益供与事件に伴う前社長の引責辞任で常務から抜てきされ就任した。「クリーンでオープンな経営を目指す」とし、隠ぺい体質を一掃する切り札と期待されていた。
就任から3年後にクレーム隠し事件が起きた時、「社長の命令を無視する役員、社員がいるなんて」と絶句し、法令順守の徹底を最優先すると宣言していた。法令順守の先頭に立っていたはずの社長が、不正な隠ぺい工作に関与した容疑で逮捕というのは驚きだ。
捜査当局の調べでは、96年の対策会議でクラッチケースの欠陥によるリコールを回避しヤミ改修を決めた。クレーム隠し事件発覚後は、ブランドイメージを守るためヤミ改修すら中止し危険な車を放置。当時社長の河添容疑者は、放置という悪質な決定を了承したと断定している。
今考えると、河添元社長の時代が三菱自が立ち直る最後のチャンスだったかもしれないね。 そういう重要な時期に、こんなトップしか頂けなかったのが、その後の成り行きを決定したように思います。