「格差」という表現

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格差を云々という人も多いと思いますが、そもそも「格差」という言葉はほとんど所得差のことを指しています。ただの収入の差なのになぜわざわざ大げさに「格」をつける必要があるでしょうか。人を差別する時に「格が違う」というように、「格」は人間の価値に階級をつける意味が付随しています。
 
300万円の年収で美しい田舎に住み、きれいな空気を吸い、ストレスもない、コストもかからない生活を営んでいる人たちがいます。彼らの人生価値と2000万円の年収で家族とめったに会えない大手企業のエリートサラリーマンの人生価値を比較してどちらが上なのでしょうか。
 
私は決して田舎暮らしのほうが上だとも言いませんし、大手企業のエリートのほうが上とも言いません。しかし、間違いなく言えるのは彼らのどちらも自分が選択している人生を送り、どちらも生の意味を噛み締めながら懸命に生きているのです。人間の格として比較できるものではないし、比較する必要もありません。

もともとは問題提起のためのキャッチフレーズとして使い始めたのだと思いますが、言葉というのは一人歩きしてしまうものです。

たとえば、『下流社会』で指摘されていたのは、単なる所得の多寡よりも意欲の低下が問題にされていたように思います。 卵が先か、鶏が先かは知りませんが。 

だいたい日本人は、「マル金、マルび」や「勝ち組、負け組」、「負け犬」などの表現が好きですよね。 それも”負け”てる方が好んでよく使います。 日本人は自虐的なのかもしれません。