まず、小沢氏側の会計処理が本当に政治資金規正法違反と言えるのかどうかに問題がある。
この法律では、「寄附をした者」を収支報告書に記載することとしており、陸山会の収支報告書では西松建設のOBが設立した2つの政治団体が寄附者として記載されている。その記載が虚偽だというのが今回の容疑だが、政治資金規正法上、寄附の資金を誰が出したのかを報告書に記載する義務はない。つまり、小沢氏の秘書が、西松建設が出したおカネだと知っていながら政治団体の寄附と記載したとしても、小沢氏の秘書が西松建設に請求書を送り、献金額まで指示していたとしても、それだけではただちに違反とはならない。
政治資金規正法違反になるとすれば、寄附者とされる政治団体が実体の全くないダミー団体で、しかも、それを小沢氏側が認識していた場合だ。捜査のポイントはこの点を立証できるかどうかだが、全国に数万とある政治団体の中には、政治資金の流れの中に介在するだけで活動の実態がほとんどないものも多数ある。西松建設の設立した政治団体が全く実体がないダミーと言えるのかは、微妙なところだ。
奪ったのが100円でも強盗は強盗で裁かれますが、「一番金額が大きいから」という理由で小沢氏や二階氏だけ摘発というのでは、公正とはいえないでしょうね。
ただ現実問題として、公判を維持できる物証がある案件しか起訴は出来ないでしょうし、ALL or NOTHING しか起訴できないとなると、検察は何も出来なくなってしまいます。 一罰百戒にならざるを得ないし、だったら一番目立つところを狙うのが当然です。
それでも次期首相になるかもしれない大物議員に手をつけるなら、政治資金規正法違反という「微罪」ではなく、本丸は工事受注に絡む収賄での立件なのかなと思います。
そこで有力者にはいろいろなところに目配りをして挨拶をして、最後の最後に、文句を言われないようにしないといけない。そういう挨拶の構図が重畳的に出来上がっているというのが一般的だった。その有力者については、与党の県連の幹事長が力を持っていたり、あるいは議長が力を持っていたり、知事が力を持っていたり、あるいは有力代議士が力を持っていたりなど、いろいろだ。しかも、それは業界内で有力者と認識されているだけで、本当に力を持っているかどうかは分からない。受注業者側は「保険料」のつもりで、有力者と思えるところに挨拶に行き、求められればお金も持っていくという世界だった。そういう談合の構図なので、いくら調べても直接的な対価関係は出て来ない。(中略)
2005年末の談合排除宣言によってゼネコン間の談合構造が解消され、政治献金をめぐる構図も大きく変わっていった。それ以前の過去の時点に遡れば違法の疑いがある政治献金は相当数あるはずだが、こうした過去の一時期に形式的に法に違反したというだけで摘発できるということになると、検察はどの政治家でも恣意的に捜査の網にかけることが出来てしまう。政治資金規正法で摘発する事件は、他の政治家が一般的に行っているレベルよりも明らかに悪質性が高い事案、収支報告書の訂正などでは済まされないような事案でなければならない。
新聞報道などでは、事件の悪性を可能な限り強調しているように見えるが、そのような報道を見る限りでも、今回の事件が、このような時期に、重大な政治的影響を与えてまで強制捜査を行うべき悪質・重大な政治資金規正法違反とは思えない。
いくら西松からの押収資料があるとはいえ、あえて困難な道に踏み込んだ特捜部の勇気は讃えたいと思いますが。
個人的にとても気になっているのは、検察が「自分たちの考える社会正義を実現する」という意思を明確にしていることです。
ライブドアや村上ファンドの摘発もそうでしたが、一種の世直し的な摘発なんですよね。 最終的な判決が大した罪にならなくても、摘発されたということだけで社会的制裁を受けますし、出る杭を叩くという意味では目的を達することになります。
小沢氏はロッキード事件の昔から検察に対する強い不信感を持ち批判的です。 体質的に「古いタイプの政治家」なのも確かです。 検察官も人間なので、個人的な好悪が全く影響しないとは言えないでしょう。
うまく言えませんが今回の捜査は、検察として「このような人間が日本の首相になるのはふさわしくない」という意思の基づいたものじゃないかと思うんですよね。
もちろん国際社会とか国民の「正義」と、検察が考える「正義」が一致していればいいのですが、独善的な「正義」を検察が振りかざすようになると困ります。
そういう意味で、最近の検察の方針に一抹の不安を覚えるのでした。