Business Media 誠:「自己分析」に意味がない3つの理由
いつのころからか、「就職活動は自己分析から」というのが常道になってしまいました。学生だけではなく、キャリアセンターの職員も一つ覚えのように「自己分析が大事」と繰り返しますが、これがいわゆるミスマッチや早期退社の原因の1つになっているように感じてなりません。(中略)
置かれた環境や、周囲から受ける期待に応じて、いつも自分を変えていこうとする、仕事や顧客や上司の力を借りて新しい自分を創っていく、企業はそんな気概を持つ学生を採用したくなります。自己分析の結果を鵜呑みにして、「適職なのでやってきました」では採用したくもなりません。
イマドキの就活事情に疎いので、「自己分析」というのがどういう内容なのかは知りません。
自分が就職したのは22年前ですが、会社から事前に送られてきたペーパーに、「あなたが他人と比べて誇れるものはなんですか?」というのがありました。 受けたのは1社だけなんで、他社がどうだったのかは分かりません。 今もどこでもあるのでしょうね。
当時はまだ成果主義なんて言葉はなくて、終身雇用が当然の時代でした。
部活も1年持たずに辞めるくらいだし、バイトもほとんどしたことがない。 特技も資格もない。 成績はそこそこでしたが、これまた誇れるようなもんではありません(ほとんど一夜漬けの成果だったし)。 そんな田舎学生に、何を誇れるものがあるというのでしょう?
そのときに何と書いたか、正確には覚えていませんが、おそらくこういう内容だったと思います。
「僕は自分が興味を持ったこと、やりたいことにはものすごい集中力、粘り強さで取り組みます。」
笑っちゃいますね。 そりゃ誰だってそうでしょう。 そのとき採用してくれた担当者(会ったことはないですが)は、本当に心の広い方だったのだろうなと思います。
でも当時の丸腰の自分にとっては、竹槍のような武器でもそれしかなかったのです。
# その集中力がどの程度なのかは、趣味の領域である程度伝わるかもしれません。
そのとき会社が学生に言いたかったのは、「自分の内側を見つめて、武器になりそうなものを探しなさい。そしてそれを磨き上げなさい」ということだったんだろうと、今にして思います。
上記の「誇れるもの」ですが、長所をアピールすると同時に、言外に弱者(選ばれる者)なりの宣言を含めたつもりでした。 それは「つまんない仕事はやんないよ!」というものです。
幸いにして、単に与えられる仕事だけでなく、自分なりに「こうしたい」「こうあるべき」という意思を入れて、やりたいことをやらせてもらいました。
毎年春になると「自己主張表」というものに、自分の強み・弱みを書かされます。 こういう繰り返しで、自分の持ち味についてのイメージが確立してきます。 本当は弱点をなくせればいいのでしょうが、もって生まれた性格や能力の限界もあります。 弱点はなるべく目立たないようにカバーして、長所を生かしたほうが良い結果が出るように思います。
企業に気に入られたいと思うのは当然なんですが、「自分はこんな人間なんで、それが気に入らないなら採ってもらわなくても結構」という気概もちょっと持っておいた方がいいんじゃないかな?
いま就活してる方々、がんばってね。