新政権誕生から崩壊までの5ステップ

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おそらく、うちの国の人たちは政変が好きなのだ:日経ビジネスオンライン

普通に考えて、新内閣は、清新なキャビネットではない。
 
なにより菅さん自身、前内閣の副総理だった人だ。内閣のメンバーも、前政権と闘った人々ではない。前任者を追い落とした結果誕生したチームでもない。
 
有り体に言えば鳩山さんの突然の退陣を受けて、副総理であった菅直人氏が後任におさまったカタチだ。言ってみれば敗戦処理内閣。6点差で負けている8回裏に登板した左翼手ぐらいな力加減。持ちダマはアウトローに落ちるシンカー。もちろん、捕手に向けてボールを投げるのは生まれてはじめてだ。

「アウトローに落ちるシンカー」が投げられるのであれば、大したものだと思いますけどね。

「永田町随一の論客」と言われますが、単に内閣にエグい球を投げるだけで、相手を脱帽させる説得力はないと思うんですが。 第一、急にフケたよね。 大丈夫かなと思うくらい。

わが国では、2006年に小泉さんが退陣して以来、この5年の間に、同じことがなんだかんだで4回繰り返されている。
パターンは以下の通り。
 
 1. 新首相誕生&新内閣発足。発足当初は50%を超える高い支持率で国民の熱い期待を集める。
 2. 不祥事続発&スキャンダル連発。
 3. 半年から一年で、内閣の支持率は半減。末期には20%を切る。
 4. 首相が突然辞意を表明する。
 5. 1に戻る。
 
毎度毎度たいして変わり映えのしない新首相と新内閣が生まれて(←鳩山内閣だけは、与野党逆転を受けた内閣だったので、前政権とかなり違って見えた。少なくとも発足当初は)、その度にメディアと国民は熱烈歓迎する。
 
で、半年もすると新首相に飽きて難癖をつけはじめる。かくして、安倍、福田、麻生、鳩山……と、2007年以来、毎年、私どもは正月を新首相とともに迎えてきた。来年の正月もそうなる。菅さんになるのか、別の新しい顔になるのかはわからないが。ともかくこのおなじみの展開が、三度目の正直どころか、今回で5度目だ。どう解釈すれば良いのだろうか。寸止めの正直? どこで止めるんだ?

正月どころか、羽田内閣並みに短命で終わりそうな予感がします。


短命政権のことはどうでもいいのですが、面白いのはここから。

少なくとも私自身は、「激動の時代」という決まり文句を疑っている。
 
なぜというに、戦後からこっち、マスコミが「激動の時代」といわなかった時代は片時も存在していないからだ。これだけ聞かされればいくらなんでも飽きる。一年中非常事態である旨を聞かされ続けている進学塾の生徒が、醒めた表情になるのと同じだ。
 
 ・ 一学期が勝負を分ける。
  →なぜならスタートでつまづくと取り返しがつかないから。頑張れ。
 ・ 夏休みが正念場だぞ。
  →自由時間を管理できる人間こそが真の勝利者だ。死ぬ気でやれ。
 ・ 二学期が天王山です。
  →実りの秋は、勉強に身が入る時期。ムチを入れろ。
 ・ トシが明けてからが本当の勝負だ。
  →最後だから本当のことを言うが、実は直前の詰め込みは最もロスが少ないのだよ。歯を食いしばれ。
 
つまりアレだ。あいつらに言わせれば一年中勝負どころで正念場で天王山で剣が峰で天下分け目なわけだよ。小学生はみんな知っている。大人の言うことはひとつひとつはもっともでも並べてみるとウソだらけになる。そういうものなのだ。
 
営業会議でも、一年中が勝負の時てなことになっている。ニッパチの閑散期も、休み前も休み後も、繁忙期も年末年始もすべてがわが社の死命を決する大事な時で、片時も油断できない死線だ、と。
 
「えー、この際ですから本当のところを申し上げますと、例年6月というのは、業界にとって比較的どうでも良い月でありまして、わが営業部にとりましても頑張ってもたいしてもうからないし、また、怠けていたところで何が失われるわけでもない時期なのであります」
 
と、こういう素敵な訓辞を聞かせてくれる部長は朝礼で語る以前に部長になれない。
 
今月が勝負だ。後先の事を考えるな、とにかく今月だけはなりふり構わず必死で売れ、と、一月前にそう言っていた同じ口がまた同じように今月が勝負である旨を主張し、それを12カ月延々と繰り返すのが朝礼というものの偽らざる実相なのである。

その通り!!! こういう欺瞞が自分は一番キライです。

春闘でも会社側は、景気がいいときは「国際的に競争が激化している。今は良くても将来に備えなければ」と言ってボーナスを出し渋り、いざ景気が悪くなったら「利益が出てないし、ステークホルダーの目もある」とかいってボーナス激減とかね。 バカバカしくて、まともに聞いていられないです。

「クルマのモデルチェンジが3年」というのは間違いですが、

別の見方をすることもできる。
 
わたくしたちの国では、既に述べたように、この5年の間に5人の首相が辞めている。が、特段に政治が大混乱していることもない。行政が機能不全に陥っているというわけでもない。
経済活動こそ若干低調ではあるものの、人々はむしろ整然と日々の時間を刻んでいる。
ということはつまりもしかして、われわれはリーダーを必要としない国民であるのかもしれない。
 
たとえばイワシの群れにはリーダーがいない。
先導役がいるわけでもないし、指示を出している個体がいるわけでもない。
ものの本によれば、一匹一匹のイワシは、両隣のイワシとの距離感を感知して、その距離を一定に保つべく泳ぎ続けているだけなのだそうだ。
 
が、その個々のイワシによる相互距離保持行動が、全体として、ひとつの群舞を形成する。外から観察する者の目には、あたかもひとつの意志のある生き物のように見える。それほど統一が取れているのだ。素晴らしいではないか。イワシライクな民度。美しくソフィスティケートされた究極の集団マナー。

ある意味、タイより酷い政治状況かもしれないのに、デモなんてほとんど起きないものね。 ビバ! イワシ国民!