何を始めるにしても、遅すぎるということはない

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

オファー殺到!46歳の新人モデラーが追い掛ける夢 - ハリウッド直送便 : nikkansports.com

10歳のころから両親と一緒にテレビでハリウッド映画を毎晩のように観ていた成田氏にとって、映画は常に身近な存在だったといいます。就職してサラリーマンとなり、米国に駐在する機会に恵まれたことが大きな転機となりました。
 
「日本にいる時はまったく手の届かない世界だと思っていましたが、米国生活に慣れ、知り合いも増えて周りが見えてくると、ハリウッドを身近に肌で感じるようになってきました。映画を観ながら、エンディングのクレジットに自分の名前がないことに苛立ちすら覚えるようになり、漠然とハリウッドで仕事がしたいと考えるようになりました」

就職したのは20歳でしたが、25歳になった頃に「ああ、もう別の道に進むなんて出来ないな」と、急に未来の可能性が限定されたような気がしました。
元々、脱サラしたり転職したいと思っていたわけではないですし、他の選択肢の可能性がどれだけあったかも定かではないですが、「もう若くない」と思ったんでしょうね。

3D CGについては自分も興味があって、Shade の体験版を入れていじったりとかしていました。 でもこの成田さんはハンパないです。

映像業界の経験は皆無の成田氏がモデリングを始めたきっかけは、1997年に参加した映像関連のコンベンションで、CGアプリケーションと出会ったことだったそうです。
 
「デモを見て自分でも出来るのでは?と思い、1000ドルちょっとを投資してソフトを購入して、自宅に8台のコンピューターを設置して独学で勉強しました。3年間、会社が終わると毎晩CGに明け暮れ、3本の短編アニメを作りました。それらの作品がPDI(現在のドリームワークス)の目に止まって面接を受け、また「スタートレック」を制作していたステーションXからは実際に仕事のオファーをもらいましたが、グリーンカードの交付を待つ間に父親の他界や長女の出産、昇進などが重なり、夢を断念しました」
 
それから10年、勤めていた会社が買収され、海外事業が大幅縮小されることが決まった時、自ら仕事を辞めてもう1度夢に挑戦することを決意。
 
「ハリウッドのCG専門学校で3カ月の特訓コースを受講し、デモリールを各社に送って就職活動を行った結果、CG業界大手のデジタル・ドメインからモデラーとしてCM作品制作のオファーをもらいました。最初の仕事は映画「トランスフォーマー/リベンジ」の公開に合わせたキャンペーンとして放送されたバーガーキングのCMでトランスフォーマーのロボットを、2本目は日本でもおなじみのAUDIのCMのモデリングを担当しました。各社から返事を待つ1カ月半は本当につらく、不安の日々でしたが、今は充実した日々を送っています」

25の頃に何を考えていたのか、よく覚えていませんが、工業ではなく芸術(アート)の方向に興味があったような気がします。

可能性(他の選択肢)を諦めるというのは、決してマイナスだけではなくて、選んだ道を信じて精進することにも繋がる訳です。
とはいえ、心の奥底で想いが燻っている限りは、可能性を追求するに遅すぎるということはないのでしょう。