原発安全性確保に「想定」世界的見直し必要 2011/03/23(水) 07:32:30 [サーチナ]
福島社民党党首はさらに、班目氏が浜岡原発の裁判で行った証言をとりあげ「非常用ディーゼルが2台とも動かない場合に大変なことになるのではないかと質問を受け、そのような事態は想定しない。そのような事態を想定したのでは原発はつくれない。だから、割り切らなければ設計なんて出来ませんね、と言っている。割り切った結果が、今回の事故ではないのか」と追求。班目氏は「割り切らなければ設計は出来ない、というのは事実。ただし、割り切り方が正しくなかったということも十分反省している」と答弁した。
また「(そういう想定をすると原発はつくれないという発言は)ある意味、原子力をやっている者全体の意見を代表していってきたこと」としながらも「原子力を推進してきた者の1人として、個人としては謝罪したい気持ちがある」と語った。
班目委員長の言うことは正しいです。 設計というのは、制約条件を前提としなければ不可能なものです。
だからその条件を設定するのは、設計そのものよりも重要なことだったりするのです。
残念なことに日本の原発は、過去の歴史を紐解けば容易に想像できる程度の津波で、電源喪失に陥ってしまいました。
発信箱:すべて想定されていた=福岡賢正 - 毎日jp(毎日新聞)
原発事故の報道に強烈な居心地の悪さを感じている。その理由を突き詰めていくと、メディアが安易に使う「想定を超えた」という言葉のせいだと思い至る。眼前で今起きている事態は本当に想定外だったのか。
《最大の水位上昇がおこっても敷地の地盤高(海抜6m以上)を越えることはないというが、1605年東海・南海巨大津波地震のような断層運動が併発すれば、それを越える大津波もありうる》
《外部電源が止まり、ディーゼル発電機が動かず、バッテリーも機能しないというような事態がおこりかねない》
《炉心溶融が生ずる恐れは強い。そうなると、さらに水蒸気爆発や水素爆発がおこって格納容器や原子炉建屋が破壊される》
《4基すべてが同時に事故をおこすこともありうるし(中略)、爆発事故が使用済み燃料貯蔵プールに波及すれば、ジルコニウム火災などを通じて放出放射能がいっそう莫大(ばくだい)になるという推測もある》
すべて岩波書店の雑誌「科学」の97年10月号に載った論文「原発震災~破滅を避けるために」から引いた。筆者は地震学の権威、神戸大の石橋克彦氏。つまり今回起きたことは、碩学(せきがく)によって14年も前に恐ろしいほどの正確さで想定されていたのだ。
石橋氏はその後も警鐘を鳴らし続け、05年には衆院の公聴会でも同様の警告を発している。電力会社や原子力の専門家たちの「ありえない」という言葉を疑いもせず、「地震大国日本は原子力からの脱却に向けて努力を」との彼の訴えに、私たちメディアや政治家がくみしなかっただけなのだ。
05年の公聴会で石橋氏はこうも警告している。日本列島のほぼ全域が大地震の静穏期を終えて活動期に入りつつあり、西日本でも今世紀半ばまでに大津波を伴う巨大地震がほぼ確実に起こる、と。
原発に関して黙認してきたマスメディアの責任は、政治と同じくらい大きいですね。
福島原発事故で目を覚ますことができたとしても、あまりに大きな代償でした。