かすかな「バブル」なるものの記憶を辿ると、行き着くのが小学校の社会科の授業の光景だ。人類が発生し、火や道具を使うようになったり、仏像を作ったり、政権を作ったり滅ぼされたりと、根気強く「日本の歴史」を語り続けた教師は、その終着点で誇らしげにこう言った。
「日本は、世界一の経済大国になりました」
歴史とは、ある終着点の事実に至るべく、誰かによって並べられた因果関係の連鎖だ。今この時代を終着点とするなら、その当時、全国の小中学校で「世界一の経済大国」と誇らしげに子供たちに教えていたということ自体、「バブル」というものの最中にいて浮かれていたこの国の軽佻浮薄さを示すエピソードになるかもしれない。しかし当時、教師が誇らしげに示した「世界一の経済大国になりました」という帰結は、少なくとも子供だった僕たちの印象の中では、敗戦以来の辛苦をすら「今この栄光のための糧になった」と思えてしまうほどに輝かしく誇らしいものだったのだ。
時代が変われば常識も変わる。記者の世代は、戦後の焦土から立ち上がって高度成長を実現した「奇跡の復活」を教わって「僕の生まれた国は、何とすごい国なのだろう」と素直に感動した。しかし今日、中国などの新興国の勃興を見るにつけ、経済の目覚しい急成長自体は日本だけにもたらされた奇跡ではなかったということが分かった。この国は「離陸」は早めに成功したが、むしろ「着地」に失敗した、ということも、今なら分かる。おそらく今日、小学校の教壇で教師が誇らしげに「日本は世界一の経済大国になりました」と言うことはないのだろう。
深いこと言うねぇ。
自分はバブル景気の幕開けと同時に就職したのですが、メーカー系の新入社員なんて給料は雀の涙。 おまけに寮に入れてもらえなかったので、可処分所得はほとんどなく、バブルとは無縁の青春でした。
東京の狂乱も、テレビの中の出来事として見てましたね。
埼玉の地価もどんどん上がって、自分が30代になる頃には家を買うのは無理じゃないかと諦めていました。
そんな自分ですが、小学校低学年の頃にオイルショックがあり公害問題もあり、その頃にはもうバラ色の未来は来ないと教わったような記憶があります。
記者も「成長を知らない子供たち」の1人だからよく分かる。社会に出てから「経済全体が成長する」ということを実感したことが一度もないのだ。「勝ち組」「負け組」という言葉が生まれたことからも分かるように、誰かが勝つということは誰かが負けることを意味する、と学んできた。
しかし、海外となれば話は別だ。(中略)
ともあれ改めて思うのは、「成長は万薬の長」という事実だ。文字面を見れば、乱脈経営の結果滅んでいった流通王が常々口にしたという「売り上げは全てを癒す」という言葉にも似ているけれど、記者が言いたいのは、もちろん成長に慢心するということではない。言いたいのは、成長のエネルギーを追い風に、誰もが野心を抱えていられるような時代への憧憬だ。
その場に身を置くことで、ビジネスチャンスを得るよりも、もっと大きな精神的な糧を得ることができる。低成長に陥ったこの国へ、彼らはそれを持ち帰ってくれるはずだ。
経済成長というのは、社会全体に「生命力」があることを表している訳で、「経済成長を知らない子供たち」に覇気がなくなるのは当たり前のことかもしれません。
ただ、成長にも限界があるのは確かだと思うし、成長を前提とする社会や生き方がいつまでも成立するとも思えません。
過去に縛られている自分たちと違って、子供たちは新しい生き方を作っていくのかもね。