新卒一括採用を安易に叩くな:NBonline(日経ビジネス オンライン)
文系大学のゼミをお考えください。そこでは、担当教員がシラバス(講義概要)に取り組みの大枠を提示し、興味をもった学生が履修登録をします。つまり学生は、入ろうとするゼミについて、事前にどんなことをするのか何となく分かってはいても、自分が何をどうするのかは入ってみないと分かりません。
入ってから教員によるテーマの説明があり、ゼミ生ごとの個別テーマや役割分担、発表スケジュールが決まっていきます。教員は、その都度、必要な知識や分析スキルを教えて、ゼミ生にも自助努力を求めます。
これら一連の仕組みは、企業の新卒一括採用と新人育成に似ているのです。(中略)
以上の「ゼミ」を「職場」、「課題」を「仕事」、「ゼミ生」を「新人」などに置き換えてください。かなりの能力を備えた人物像が浮かんできます。イメージされるのは「業務経験者」に近い「大学生」といった、今の日本の大学においては例外的な人物像です。
これでは採用期間が通年になったら、求められる条件が厳しすぎて、多くの学生は志望企業の門を叩くところにもたどり着けないでしょう。企業側も職場ごとに異なる能力要件を正確に把握し、その都度、学生へ具体的に提示していくことは、相当な負担となることでしょう。
新卒一括採用から通年採用への転換は、企業の人事制度に加え、教育制度全体の抜本的改革とセットで提案しない限り、大風呂敷を広げたにすぎない話だと、私の耳には聞こえます。「卒業しても、やりたいことが見つかるまで(入りたい会社の選考に通るまで)就職しなくてもいいよ」と、本気で周囲の大人たちが認め、その社会コストも背負うぐらいの覚悟が必要になると思うのです。
確かに年間数百名の新卒者を採用する大企業では、その受入れ、実習、教育の手間やコストが馬鹿になりませんからね。
かといって中小企業なら問題ないかと言えばそうでもないでしょう。 もともと分母が小さい訳ですから、新入社員教育に手を取られるのは痛いはずです。
もし新卒一括採用が禁止されたら、目標設定型どころか、いつも受け身で先延ばしタイプの学生は、今以上に就職で苦しむだろうと思います。
70年代はモラトリアム人間と呼ばれた層でしょうか。かなり前から大学生の主流派だったはずですが、全入時代の現在は大学生の大半がこの層に当てはまります。大学の学問に多くを求めず、大学4年間を人生の夏休みのようにエンジョイして過ごすタイプです。
彼ら彼女らは、将来のことは就職活動の時期がきたら考えればいい、と思っています。ところが、いざその時期となってみると、「自分に向いている仕事の見当がつかない」「就職活動の仕方も全く分からない」と気づいて慌てます。これらは大学のキャリアセンターの個別相談でもっとも多い「悩み」です。
受け身で先延ばしタイプの学生たちは、キャリアセンター職員などの大人や、冒頭で触れた水先案内人のような学生仲間に教えてもらいながら、就職活動をやっていきます。それも就活プロセスが画一的だから可能なのであって、いつでも応募ができる通年採用になったら、なすすべもなく立ち尽くしてしまうでしょう。
また、「やりたいことがないから就職活動をしません」といった、正直というか、頑固な学生も一定数います。このタイプは新卒一括採用があるから仕方なく重たい腰を上げて活動します。もしなくなったら、ケジメのつけ時が分からなくなります。楽ちんな学生生活にピリオドを打つきっかけを失うのです。通年採用となっても、向こうからやりたいことがやってくるわけではありませんから。
何タイプであろうが、大学生の就職問題を突き詰めて考えると、私の頭は同じところに行き着きます。とどのつまりは、いまどきの若者を大人にしていく負担は誰がどのように背負うのか、という話になるのではないでしょうか。
結局は古い問題だということですね。
でも昔と違うのは、社会にも企業にも余裕がなくなってきているので、一度躓くとリカバリーが大変だということ。
だから余計に若者たちは萎縮したり、オロオロするのでしょう。
もしかしたら、韓国みたいに徴兵制度を導入するべきなのかもしれませんよ。