昨年末に、銀座の「RING CUBE」に行ったことは記事にしました。
そのとき、気になっていたのがこの写真。
外壁に「RICOH」って書かれてます。 なんで一テナントに過ぎないリコーの名前が書いてあるの?
商業登記上は商号を 株式会社リコー とし、本店を東京都大田区中馬込に、本社を東京都中央区銀座に置く。英文名称はRicoh Company, Ltd. 。全国各地に販売子会社を持ち、それらは主に法人向けの販売や保守などを行っている。
1936年2月6日に、理化学研究所で開発された「理研陽画感光紙」の製造及び販売の目的で理化学興業から独立して「理研感光紙株式会社」として設立された。創業者は市村清である。翌年3月に社名を「理研光学工業株式会社」に改めた。戦後、理研コンツェルンの解体を経て(理研グループ参照)、1963年に現社名となった。
へー。 リコーって、理研の流れだったんだね。
ちなみにリコーは知られざる(?)大企業で、連結売上高は2兆2,199億円もあります。 事業内容はそれぞれ違いますが、キヤノンが3兆2092億円、ニコンが8875億12百万円です。
大企業などでのOA用プリンタのシェアは、キヤノンより高いのではないかしらん。 保守サービスに強みがありますからね。
個人向け事業はカメラくらいなので、印象が薄いのは仕方ありません。
理研コンツェルン(「理研産業団」とも呼ばれる)は渋沢栄一が設立した財団法人(のちに特殊法人化→独立行政法人移行で現在に至る)理化学研究所の研究成果を企業化して生まれた関連会社群からなる新興財閥だったが、GHQから十五大財閥指定を受け、財閥解体により持株会社だった理化学興業は解体。その後、理研光学(現在のリコー)の市村清により三愛会を結成。現在は‘リコー三愛グループ’と称している。
ん? 三愛? そういえば、あの建物は「三愛ドリームセンター」って言ってたな。
三愛ドリームセンター(さんあいドリームセンター)は、東京都中央区の銀座にある商業施設のビル。中央通りと晴海通りの交わる銀座4丁目交差点に面している。通称・「(銀座)三愛ビル」。
三愛ビルはリコーの創業者である市村清が戦後間もない1946年、銀座4丁目の旧六十九銀行銀座支店跡地に地上2階建ての「三愛ビル」を建設し、以後この地を販売の中心地として経営を拡大していった。
市村は三愛ビルを改築するにあたって奈良県の法隆寺五重塔をヒントに「建物中心に大きな柱を立ててビル全体を総ガラス化させた円筒型のビル」を考案、名称も一般公募により「三愛ドリームセンター」に決定した。
開業時よりリコーの社章である眼鏡のマークが外壁に配してあった。(「荷風」Vol.16、日本文芸社、2008年、63頁参照)
ああ、それそれ。 リコーにとって「三愛ドリームセンター」は自社ビルみたいなもんなんだね。
ところで何で「三愛」なんだろう?
1945年終戦を迎えると、「人を愛し、国を愛し、勤めを愛す」の三愛主義をモットーに三愛商事を設立、銀座4丁目角の土地を取得し食料品店を開業する。後に婦人服専門店に転業する。銀座の土地は買収に難航したが、ある地権者の老婦人が大雪の中断りに出向いた時、彼女の濡れた足元を見た女性事務員が自分のスリッパを履かせ、抱きかかえるように3階まで案内したことに感激し、交渉がまとまったというエピソードは有名である。
なるほど。 そういえば水着でおなじみのSan-Aiも?
株式会社三愛(さんあい)は、日本全国に婦人服を販売するリコー三愛グループの企業。
リコーのグループ企業だったとは知らなかったな。
三愛水着イメージガール(さんあいみずぎイメージガール)は、大手水着販売店の三愛が毎年選出・起用している水着キャンペーンガール。
2003年までは繊維素材メーカーの水着キャンペーンガールと同列には見られていなかったが、繊維素材メーカーのキャンペーンガールの減少により、また山本梓や杉本有美、木下優樹菜といった人気者を輩出したことにより、マスコミの注目度も上がっていった。
2008年頃より、繊維素材メーカーの東レや業界団体の日本スイムスーツ協会(東レ子会社等が加盟)と共同で水着ファッションショーイベントを行うことが多くなっている。
最近では、San-Aiの新作水着発表会は風物詩だもんね。