福島第1原発事故=戦後最大の危機の真実。 「最悪のシナリオ」から危機の全体像に迫った ――日本再建イニシアティブ理事長 船橋洋一|大震災から2年目の「今」を見つめて|ダイヤモンド・オンライン
15日午前5時35分、菅首相が東電に乗り込みますね。
そこで東電社員を前に「君たちは当事者なんだぞ。いのちをかけてくれ」と演説した。 政府として「いのちをかけろ」と命令はできない。そんな権限はない。あくまで「お願いベース」です。
しかし、それでも菅さんはそれを言った。(中略)
カート・キャンベル国務次官補は藤崎一郎大使に、「英雄的犠牲」で臨んでほしいと日本側の覚悟を迫っています。
要するに「決死隊」ということですね。日本側も、自衛隊はその覚悟を持っていたと思います。しかし、米国に言われたこの言葉はとても重かった。
言う方も人間ですから、なかなか「死んでこい」とは言えないよね。
『アルマゲドン』などの映画なら美談で済むのでしょうが、現実はもの凄い批判にさらされるでしょうからね。
地震が起こったとき、福島第1原発の現場にいた原子力安全・保安院の保安検査官たちは本来なら、事故の際はプラント内にとどまって、独自に本院にプラント情報を伝達しなければならないところです。それができなかった。
だから、政府は東電の本店から情報をもらうだけとなってしまいました。
『カウントダウン・メルトダウン』でも触れましたが、実は、彼らを含むオフサイトセンターからの職員たちの避難問題は、東電福島原発の撤退問題と微妙に絡んだのです。菅政権のやったことは、一方で、政府の職員を避難させながら、東電の社員には死ぬ覚悟で踏みとどまれと要請するのですから、矛盾しているのですね。
保安検査官の”敵前逃亡”について、「役人だけの判断だけなら、撤退しかありえない。役人は別の役人に死ねとは言えませんから」と経産省の幹部は後に、そう言っていました。これは「国の形」そのものが問われていた危機だったんだ、と改めて思い知った次第です。
全体を救うため犠牲を求める。
このテーマを、戦後、日本は、正面から見据えてこなかった。
もはやそれを避けて通るわけにはいかない、日本、前へ、と背中を押されたような感じがします。
自己犠牲は他人に強要されるものではありませんが、戦争でなくてもこういう状況は起こりえるということを初めて我々は自覚した訳です。
「玉砕思想」の反動で、そういうことを考えないようにしてきた日本人の精神が問い直されているのでしょう。