勝ち抜きたければ「迷わない人」と組んではいけない。:日経ビジネスオンライン
--で、統計で野球を戦う方にどんどん行っちゃうんですか?
押井:いや、野球を統計で戦うのが正しいんだとも言ってないんだよ。結局、チームは地区のプレーオフで負けるんだから、2年連続で。どっちの理論が正しいとか、職人の直感と経験は絶対信用するなとか、一方的に言ってるわけじゃないんです。(中略)
押井:従来通りのやり方で選手を集めたヤンキースは、ひと試合勝つために140万ドル使ったんだけど、そのシーズンで同じくらいの勝ち星のアスレチックスは1勝あたり26万ドル。5分の1以下なわけだ。どちらが優れてるかは一目瞭然。だけど既得権益を持ってるヤツらは新しいやり方にみんな反対する。でもさ、そんな連中に嫌われたって、ビリーには関係ないんだよね。
メジャーでは、大型補強して快進撃してワールドシリーズに優勝したと思ったら、翌シーズンは高額選手を放出して数シーズンは低迷するというパターンが多いですね。
赤字にならないようにそこそこのバジェットで、そこそこの成績をあげ続けることを「勝利条件」に置くならば、アスレチックスのやり方は正しいのだと思います。
でもヤンキースのようなチームに求められているのは、そんなことじゃないですよね。 彼らの「勝利条件」はワールドシリーズ制覇だけです。 地区優勝しようが、プレイオフで負けたら評価はゼロです。
だったらどんなにカネを使おうが、目標を達成できるのが正しい戦略ということになります。 あとはビジネスモデルとしてそれが成立するかどうかでしょう。
押井:要するに監督の利害とGMの利害とオーナーの利害はみんな違うんだよ、当たり前だけど。オーナーはとにかく観客動員がどんどん伸びて儲かることがテーマ。優勝というのはそのための優勝だから。
一方で監督は自分が非難されないために戦ってたりするわけです。突っ込まれないように選手を起用する。それで負けても仕方がないと言われるんだったら負けてもいい。負けてもいいとは言わないけど勝つことが至上じゃない。いつまで自分がその球団で監督をやってるかはわかんないから。(中略)
会社員だったら最低でも降格されたくないし、できれば出世したいわけだ。平社員は平社員で責任取らされてクビになったりとかシビアだと思うけど、実際問題地位が上昇するに連れてハードルはどんどん高くなる。そうなるとどうなるか。どんどん決断しなくなるんだよ。
--なるほど。
押井:要するに現状維持を望むんだけど、その現状維持を望むことがつまり「経験」とか「直感」を重視する考えの背景に広がってるんです。
--「俺はいままでこれでうまくやってきたんだから、今回もうまくいくはずだ。それでうまくいかなかったとすれば、それは俺が悪いんじゃなくて運がなかったんだ」と言いたいわけですね。
押井:そうそう。現状維持を望むというのは勝たなくてもいいから言い訳が欲しいだけなんだよ。要するに、直感や経験を重視する人は「勝つこと」を絶対条件にしてないことがほとんどなわけです。勝つためだったら自分の経験だろうがなんだろうがドブに捨てる覚悟がなかったら勝てるわけないじゃん、という話なんだよね。
でもここ数年のアスレチックスの現状は、「マネーボール理論」の成功体験にしがみついて、そこそこの成績に安住しているだけのような気がします。
それにビリー・ビーンだって、プレッシャーの大きいレッドソックスよりも、「勝利条件」が緩くて達成戦略も確立されたアスレチックスの方が長くGM職に留まれると考えたんじゃないのかな? 娘を大学にやるために。 それは自己保身とは言わないのかな?
押井:そのときにスカウトが言った「俺たちには経験値と直感があるんだ。データとか統計で試合に勝てるわけがない」っていうそのセリフを聞いて「あ、俺も同じことを言われたことがあるなー」って思ったんです(笑)。
--どこで言われたんですか?
押井:もちろんアニメの現場で。要するに職人の言うことはどこでも一緒なんです。球団のスカウトだろうが映画のスタッフだろうがアニメーターだろうが編集者だろうが。
あのスカウトたちも職人だから自分しか信じてない。しかもそれは経験値だから、言語化したり技術の体系にすることはできないわけです。もちろん経験値であるからこそ有効な側面もあるし、一方、無効な側面もある。
一番無効な側面というのは、体系化できない、理論化できないということなんです。それだと最後はただの直感になっちゃうんだよ。この選手はモノになるかならないか、この作品は当たるか当たらないか。
--職人にとって他人に説明できる根拠なんてつまるところないと。
押井:そうそう。映画のプロデューサーなんてその典型だよ。
冒頭に押井守も言っているように、「ビリー・ビーンは正しくて、職人はダメ」な訳ではありません。
「勝利条件」を達成できれば、どんなやり方でもいいのだと思います。
--そこで監督だけをこっちに残すというのはどういうことなんでしょうか?
押井:監督は現場の責任者だからです。
どんなに言うことを聞かない監督だろうが、監督がいなかったら試合はできないんだから。自分が監督になるんだったら別だけど、それはもうひとつの最低の選択肢です。それは監督をクビにして、自分がその映画の監督になっちゃったプロデューサーと一緒だよ。
--試合は完全に監督に任せると。
押井:そう。はっきりセリフで言ってるんだもん。「スタメンを決めるのは確かにお前の権限だ。でも選手をトレードに出すか出さないかは俺の権限だ」というさ。
--そこはある程度権限を与えて任せちゃうってことですか?
押井:権限は与えて、選択肢を制限しただけ。そうなると傀儡にならざるを得ない。その制限された選択肢が嫌だったら辞任するしかないんだよ。クビを切ったわけじゃない。(中略)
押井:この映画はそういうのもちゃんと描いてる。かつては名選手だった30代のベテラン選手にビリーが言うんだよね。「お前がどう思おうが関係ない。お互い欲しいものをはっきり言おう。俺は今のお前に金を使ってるんだ。お前の過去なんか関係ない。今のお前に求めてるのは成績じゃない。若手の模範になれ」って。そしたらその黒人選手が一言「わかった」って。
それ以上のセリフはいらないんだよ。余計なことをセリフにすればするほどドラマから遠のくんです。
ビリーにいろいろ言われて反論したヤツはみんな冒頭30分くらいで次々クビになってる。あとには「わかった」と言うヤツしか残らない。それは正しいんだよ。なんで説明する必要があるのか、と。
--説明や説得はしないんですか?
押井:説得しない。選択肢を与えるだけ。もちろん選択肢を与えないヤツもいるんだけど。「明日からタイガースに行け」って(笑)。
結果的にはイエスマンばかりになっちゃいそうですけどね。 個人商店のワンマン社長によくあるパターンというか。
異論がない方が作戦遂行にはいいんでしょうが、思考の多様性が無くなってしまうと環境(前提条件)が変わった時が大変です。
もっとも、米国なんかじゃ「そんときゃ全員総とっかえ」なんでしょう。 大統領が変わると政権全員入れ替わるみたいにね。