「話が違う!」は禁句か?

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「話が違う!」と言ったら社長も校長も即失格:日経ビジネスオンライン

決まるまではとにかくいい話をされた。グローバル人材の育成、素晴らしいじゃないですか、活躍を期待しますなどとちやほやされていた。なんといっても千人以上から選ばれた校長です。ところが諸条件が明らかになると、魅力的な話が何もなくなった。給与も最低だと言います。(中略)
 
誰に悪気があるわけでもないし、話を進めている間に時間も状況も変わりますからね。
ただ、こういう場面で決して言ってはいけない言葉があります。
 
それは、「話が違う」という言葉です。

いやでも、それってほとんど詐欺だよね。
ブラック企業と呼ばれているところと、どこが違うの?

仮にも部門長なんだからという理屈も分からなくはないですが、もし我慢して精神的に追い詰められて自殺したらどうなるんですかね? それとも教育者=聖職者なんだから、そんなことは我慢しろと言いたいのでしょうか?

いい転職話なんてそんなものでダマされる方が悪い、彼が世間知らずなだけだというべきなのかもしれませんけど。

その一言で、「話が違ったら、やらないのか」「何しに来たのか」という不信感を関係者に与えてしまうからです。まして、組織のトップになる人が言ってはいけない。
 
たった一言で、その後の関係が修復困難になるほど崩壊します。
 
問題があるから新しい人を呼んだ。普通の人だと解決できないから新しいところから呼んでいるわけです。むしろそういう役割の人だった。

要するに捨石、生贄ですよね。 ダメでもともと、うまくいけば儲けものという程度です。

ただちょっと共感したのは、

トップの仕事は、組織と人を動かして問題解決することです。なので、まずは自ら動かせるように周りの人たちとコミュニケーションをとる。
 
ちょっとした工夫を積み重ねて、まずは雰囲気を和らげる。自分が敵ではないことを伝える。これが新しい組織を率いる上で、最初の一歩で最も大事なことなのではないかと思います。

これって確かにすごく大事だと思います。

一方で、こういう見方もあります。

嵐の海で救助された男が述べるべき言葉:日経ビジネスオンライン

が、問題の本質は、彼自身の個人な責任感とは別のところにある。
 
というのも、そもそも大阪市が、広く民間に人材を求めたのは、「民間出身者ならではの感覚と能力」を期待したからで、その「感覚と能力」には、当然「見切りの早さ」や「決断の冷徹さ」が含まれていたはずだからだ。
 
そう考えてみれば、新校長が、赴任3カ月を待たずに、学校の環境と条件に見切りをつけた態度は、まさに民間ならではの機敏さと評価すべきではないか。(中略)
 
ところが、その成果主義の体現者である新校長は、業務に対してだけではなくて、自らの労働環境についても成果主義で臨んだ。当然といえば当然の帰結だ。で、彼は、赴任した学校が、自分の能力にふさわしい条件を備えていないと判断するや、即座に、職歴を切り捨てにかかったわけだ。
 
損切りのタイミングとしては間違っていない。
自分の力量が正しく評価されておらず、能力を発揮できる環境が整っているわけでもない職場で、不本意な仕事をだらだらと続けるべきではない。なるべく早い時期に見切りをつけて、次のキャリアに向けて踏み出した方が賢明だ、と、優秀な証券マンなら、そう判断するはずだ。

今年の春先に話題になった、卒業式を待たずして退職する先生の件もそうですが、先生だって個人のキャリアや経済状況があるのでしょう。
職業的ポリシーと個人的事情のどちらを優先するかは、その人の考え方しだいです。 個人の犠牲に過度の期待をするべきではないと思います。