AGN 【ビル大友のF1見聞録】番外編:F1マシンに乗りたかった黒川紀章サン
この文章を書いた人は、誰あろう、黒川紀章サン御自身です! と、すると? 玉眞君ってダレ? ですよネ。はい、実はかく申す私の本名なのです。「たまま」。変わった苗字でしょ? ですからクルマの仕事をするときのペンネームが「ビル大友」だったという次第。
ペンネームですが、これをひっくり返すと「オートモビル」になるでしょう? そう「自動車」そのものでした。いささかフザケタ(?)隠し芸みたいですが、このペンネームでもう40年もやってきましたから、まァ御勘弁を願います。
実は私、たままクンは建築家なのです。黒川さんご夫婦をパリでアテンドしたのも、いわば同業のヨシミだったワケ。
ビル大友さんは27年前にオートスポーツ誌を読み始めた頃から知っていますが、建築家とはちーとも知りませんでした。
そして天才論。
そこで、最後に「F1業界」に話をもどして、こう結論させて頂きたいと思います。天才とは育てるモノではナイ。見いだしてくるモノ、あるいは発見するモノだ、ということです。育成する。つまり教育イッポン槍の日本方式には、こういう天才を「発見」しようにも発見出来ないというジレンマがあります。
日本のF1チーム、ドライバー、関係者の諸君。いずれも立派な紳士ですが、しかし、いわゆる天才ではない。むしろ天才が出現するのを、よってたかってタタキのめすか、足をヒッパッテしまうのが我々なのです。
そうかもしれませんね。 天才は天才であるがゆえに、エキセントリックであったり付き合いづらい人格であったりすることが多いですが、凡人の枠に当て嵌めて評価しているウチは、天才の芽を摘むだけでしょう。
黒川紀章さんはKLIAのデザインをしていたんですね。 あの独特のデザインの中にいると、黒川さんのテーマだった「共生」というのが伝わってくるような気がします。
改めてご冥福をお祈りしたいと思います。