世界一のスーパーカーを開発せよ (宮田秀明の「経営の設計学」):NBonline(日経ビジネス オンライン)
宮田: 今度は、昔のスカイラインGT-Rと全然違うわけですが、ポルシェとかフェラーリでお話になったような、絶対の価値があるのでしょうか。(中略)
水野: GT-R開発の際に時速300キロで走れるというのが従来の目標であったら、僕の立てた目標はさらに先です。その時速300キロの車の室内で、楽しみながら会話ができることです。そのスピードだと普通は何かにしがみついてしまうんですよ。でも会話を楽しめる、異次元の世界を作り出すのが僕の目標です。(中略)
今のスーパーカーって確かに速いんですよ。でも、雨が降ったらガレージにしまう、雪が降ったらワックスだけかけてしまっておくという世界でした。それに、腕がないととても乗れない。ものすごく限定された領域で、ある意味では、こういう言い方は失礼かもしれないけど、企業のエゴで作っているんですよ。「ユーザーを制約する」「使い方を制約する」ことによって、希少価値を作っているものでした。そういう商品が今までのスーパーカーでしたが、我々はそれに挑戦し、誰もが、いつでも、どこでも、すべてのシーンでスーパーカーに乗れるんだ、と。これがGT-Rの絶対値です。夢をつくれば感動してくれるのです。
エコの時代に時代錯誤とか、数の出ないスーパーカー開発するより他にやるべきことがあるんじゃないかとか、思わなくもないですが、それでもこういうクルマを開発するのは大切なことだと思います。
でも「誰でも乗れるスーパーカー」って、17年前に聞いたことがあるようなコンセプトですね。 「4人乗れます」っていうのも、「ゴルフバッグが積めます」というのと同じで、スーパーカーにとってはそれほど意味があることとは思えないし。
「誰でも乗れるスーパーカー」が、自動車技術者にとって「夢」なのはよく分かります。 でもそれはユーザーにとっても夢なのかなぁ? 既存ブランドを技術で打倒するという考え方は、R32スカイラインの頃から変わってないような気がするんですが。
なにより「スーパーカー」を名乗るには、デザインが美しくないのが最大の問題点。 カッコイイか悪いか、好きか嫌いかは意見が分かれるだろうけど、フェラーリと比べてどちらが美しいかと尋ねたら、10対0でフェラーリに軍配が上がるでしょう。
別にフェラーリ的な美しさである必要はないんです。 でもブランドにはある種の精神性が必要で、デザインというのはそれを体現している訳ですからね。
レクサスも最初は機能(NVH)だけで欧州メーカーと伍していたけど、今は独自のデザイン文法を模索しています(必ずしも成功してないですが)。 そういう部分をちゃんと見せてほしかったな。
戦闘機なら機能美だけでもいいんだけど、このデザインでは結局はランエボとかと同じジャンルに埋没してしまうんじゃないかしら。 もったいなーと思います。