前編に続いて、待望の後編です。
本田雅一のAV Trends 次世代光ディスクフォーマット戦争の軌跡 【後編】東芝の意図とハリウッドの選択
まず、フォーマット統一交渉において、0.1mm保護層ディスクの製造が不可能と強く主張し続けた人物を、東芝上席常務待遇デジタルメディアネットワーク社(DM社)首席技監の山田尚志氏だと考えている方が多いようだが、これは別の人物だ。
この交渉では物理記録技術、信号処理技術、アプリケーション技術、ディスク複製技術など、各分野において、Blu-ray DiscとHD DVDのどちらが優れているか、相互に評価し合いながら、統合できる部分は統合していくプロセスがあった。その中でBDのディスク複製技術に関して評価を行なったのはDM社HD DVD推進室・室長の佐藤裕治氏(役職は当時)だ。
佐藤氏は光ディスク事業にCDの時代から取り組んでおり、青紫レーザーダイオード(青紫LD)を用いた光ディスク開発の黎明期にも、0.1mm保護層のディスク複製技術がいかに難しいかを体感していた。その経験から「0.1mm保護層のディスクは歩留まりを上げることはできない」と、繰り返し断言していたのをよく憶えている。
統一交渉後、数カ月後には松下電器が米国カリフォルニア州トーランスに安価にBDを複製できるスピンコート型BD複製装置の実験ラインを構築しており、そこを2度ほど訪れたことがある。2度目の訪問時には検査装置のデータも見た上、スピンコート方式の欠点と言われる各要素を解決していることが数値として確認できるレベルに達していたが、そのことを佐藤氏にぶつけても「できるといいですね」と、スピンコート方式のBD複製技術に興味も示さなかった。
なるほど。 山田首席技監ではなかったのですね。
その佐藤氏は、その後HD DVD事業統括部の副統括部長になっています。
東芝 デジタルメディアネットワーク社:技術系職種情報(テクノロジー アンド ワークスタイル):技術への取り組み / 技術トップからのメッセージ:HD DVD事業統括部 副統括部長 佐藤 裕治
HD DVD事業統括部は名前の通りとおり、次世代のDVD事業を立ち上げるミッションをもった組織です。世間では次世代光ディスクに二つの方式があってそれぞれが競争をしているかのように報道されていますが、正しくはありません。なぜならわれわれは相対する方式と「形容詞の闘い」をしているのではないのです。他方式よりより容量が「多い」とか、「早い」とか。
そうではなくIT業界、家電の業界、ハリウッドを代表とする映画の業界などと連携をとって、どうやったら一番経済的に感動を提供できるかなと日夜考えているのです。技術屋には厳しい言葉かもしれませんが、商品を創り上げるには研究レベルではなく実用になること、それなりの満足できる価格で提供できること、大量製造に耐えられるほど技術がこなれていること、などが要求されます。そのような中でどの技術が10年20年と耐えられる本筋の技術か、これは技術屋に求められる「見通す力」が必要となります。
佐藤氏はじめ東芝には、その「見通す力」がなかったのでしょうね。
思えば藤井上席常務が「BDは戦艦大和だ」と発言したことがありましたが、自社の技術に絶対の自信を持ち、相手の技術を過小評価するというのは、まさしく戦前の日本軍を思わせて皮肉であります。
本田氏の記事に戻ると、
藤井氏は規格統一反対で一貫している山田氏を、ひとまずは交渉の場から遠ざけ(山田氏が統一交渉に参加したのは、まだ松下が交渉に参加していない最初の一回だけだった)、冷静に交渉を行なう意図があったようだ。加えて、ソニーと松下電器も、統一交渉のメンバーに山田氏を加えないことを要求していた。しかし、山田氏と佐藤氏は師弟関係のように強いつながりがあり、統一会議の詳しい内容は山田氏に報告されていた。
実はこの頃、山田氏と非公式に話をしたことがあったのだが、山田氏は「BDはディスク複製でまだたくさん穴があり、技術的にアンバランスなところも指摘できる。藤井さんだけの意志で簡単に0.1mmに決まるわけではない。ちゃんと作戦は考えてあるんだよ。本田さんはBDの方が有利と考えているかもしれないけれど、0.6㎜以外では統一はないよ」と話していた。
藤井氏が東芝本社から規格統一を指示されて、本気で事に当たっていたのは確かなようですね。
その場合、藤井氏に統一を指示を出したのは、当時の岡村正社長なんでしょうね。
統一案を蹴る方針を固めた際、議論の場にいたのは西室泰三会長、岡村正社長、藤井氏(急な早朝会議のため、やや遅れて参加した)、山田氏、佐藤氏など数名のHD DVD推進室関係者、それに6月からの社長就任が決まっていた西田氏だったという。
(中略)
そうした意味では、統一交渉の山場が訪れたのが、岡村政権から西田政権へと移り変わるちょうど谷間の時期だったこと。それに自身が社長の時代に生まれたDVDを大切に思う西室氏が会長だったことなど、様々な細かい事情が絡んで統一案を蹴る方向に向かったのではないか? と個人的には“想像”している。だが、本当のことは現場にいた人たちが口を開かない限りは分からないだろう。
個人的には山田氏以下のHD DVD推進室のメンバーが西室泰三会長に直訴して、藤井氏が会議に加わった頃には大勢が決まっていたんじゃないかと想像しますが。 岡村社長も西室会長に頭が上がらなかっただろうし。
西室氏は一流財界人として、今は東証の会長になっていますが、なんでそんなに持ち上げられるのか理解できません。
東芝でも社長時代に大赤字を出して退任したし、東証では2005年の取引システム障害で3時間も止めています。
ワーナーが決断に至った経緯についても興味深いです。 おそらく「BD一本化の結論が先にありき」だったのが正解なのでしょう。
東芝DM社でHD DVD関連事業に携わっていた社員の多く、HD DVDの規格策定やマーケティング戦略に直接関わっていた社員以外の多くは、西田氏の記者会見が社内に放送(本社ビル内に会見は同時放送されていた)された時、初めて撤退という言葉を聞いたという。
(中略)
そうした購入者への支援も必要だろうが、むしろ心配しているのは、HD DVD、それを用いたレコーダ、プレーヤの開発などに携わってきた技術者たちの行方だ。現時点で東芝はBD関連機器を開発する予定はないと述べており、このままだと独自のブランドを構築してきたRD(VARDIA)シリーズも、今後は市場の緩やかな縮小が進むと思われるDVD世代で終わることになる。HD DVDに搭載されたインタラクティブ機能「HDi」を、実際に家電の上で動作するよう実装を行なってきたのも東芝の技術者たちだ。
東芝はフォーマット戦争には負けたかもしれないが、その間に何も生み出さなかったわけではない。その間に生み出した技術やノウハウを活かし、製品へと還元するには、HD DVDに関わった多くの技術者たちを活かすことだ。
家電量販店のエディオンが、HD DVD購入者に対してBD製品への交換を受け付けるという記事がありましたが、一度は気に入って購入してくれたお客さんから返品されるというのは、HD DVDに携わった人たちからするとすごいショックだろうなぁ。
工場での仕掛かり部品とか流通在庫の返品の山(米国は使用後でも一定期間は返品できるらしい)を処分しなければならないだろうし。
本物の戦争と同じで、悲惨なのは現場だよね。 だからこそ経営者は、ここまで全面戦争になる前に回避する義務があったと思うんだけど。
実際にはここでは書ききれなかった、数多くのことがこの数年にあった。マイクロソフトがなぜ、どのようにして光ディスク事業に関わろうとしていたのか。なぜ東芝やワーナー、マイクロソフトは、容量の少ないHD DVDでもフォーマット戦争に勝てると考えたのか。もっといろいろな理由、判断材料、それにフォーマット戦争の影の部分で動いていたコンサルタントたちもいる。
そこが一番知りたいところですが、結局明らかにされないままHD DVDは忘れ去られていくのでしょう。