大荒れ相場に見えた「みの・フルタチ」の文化度:NBonline(日経ビジネス オンライン)
たとえば、「報道ステーション」の古舘伊知郎は、最近、二言目には「マネーゲーム」という言葉を口にするようになった。もちろん、彼の言う「マネーゲーム」には、明らかな非難の響きがこめられている。それも、株をやっている連中に対するあからさまな敵意みたいなものが、だ。
フルタチは、一見
「つまり、マネーゲームに打ち興じていた21世紀の金融市場に、神の鉄槌が下ったわけですね」式のステレオタイプの庶民主義を開陳しているだけであるようにも見える。
が、その実、彼は、マネーゲームの蔓延を嘆いてみせるテの文明批評トークで、金融、証券および商取引一般を悪者に仕立て上げ、そうする(悪者を特定する)ことで、視聴者におもねっている。私はそう思う。違うのなら言ってくれ。義憤? まあ、そうかもしれない。義憤って、たいてい的はずれだからね。
「わたくしども庶民が額に汗して稼いだ貴重なお金を、よりにもよって、ゲームの対象にして遊んでいる守銭奴どもの不届き至極な金融工学的取引のおかげで……」
「日々の暮らしの糧をギャンブルのネタに変ぜしめているあの人たちは」
てな調子のトークが、アタマから間違っているというのではない。
百歩譲って、前述のセリフの主が、投機的な商品先物市場に翻弄されているジャガイモ農家のオヤジだとか、貸し剥がしに直面している鉄工所の社長だとかであるのなら、それはそれで一理のある話なのだと思う。
でも、「額に汗して」みたいなセリフを吐いているキャスターの額に、汗がにじんでいたためしはないのである。彼らは、しゃべるだけで時給数十万円からの報酬を得ているトーキング貴族だ。あるいは、そのものズバリのバブルメーカー(バブル労働者)だ。自分がうたかたなのに、どうしてバブルを批判できる、と、そういう話だぞ、フルタチ君。
古舘伊知郎って、好きっていうんじゃなかったけど、キライではなかったよ。 プロレス実況の頃は知らないけど、F1実況も(良し悪しは別にして)一つのスタイルを作ったともいえるし。
個人的には、石橋貴明とやってた深夜番組「第四学区」は本当に面白かったと思う。
マスメディアという権力を持つと、それに取り込まれて人間は堕落するんだな、という見本みたいになっちゃいましたね。 久米宏はその点で、ダークサイドに落ちる崖っぷちで踊る”芸”があったような気がします。
でもテレ朝(というか朝日新聞)的体質からすると、古館的な善悪の判断基準の方が都合がいいんでしょうね。