筆者は、大恐慌とは1つの現象ではなく、1つの「過程」を指すと考えている。前回の大恐慌は1929年から34年頃までの過程だ。現在の過程はまだ「地獄の二丁目」あたりで、天国に戻るのはまだまだ先だ。今の時期は、まずは少なくとも3割は過剰となっていた水ぶくれ経済を、身の丈に合ったサイズにまで落とすことである。
それはみんな分かっていると思いますよ。 どこの経営者も「他社は生産能力を削減するべきだ」と考えているはずです。
たとえばこんな記事があります。
トヨタが正社員の大規模な削減を避けているのは、企業のイメージ向上や社員の結束のためだけではない、とアナリストらは言う。暗いニュースが相次いでいるものの、日本の自動車メーカーは(人員削減による目先の費用削減よりも)景気が上向いた時に新たに従業員を雇用し教育する費用の方を心配している、とスイスの金融グループUBS(UBS)傘下のUBS証券アナリスト吉田達生氏は指摘する。「工場閉鎖や大規模な人員削減に踏み切ることはない。日本の自動車メーカーは、いずれ需要が戻ると確信している」。 (中略)
「投資家は、思い切った対策が打たれないことを不満に思うかもしれない。だが、(大規模な人員削減は)自動車メーカーが現在抱えている問題の解決策にはならない」と吉田氏は言う。
レースで言えば、今は大雨によるクラッシュが起きて、セーフティーカー(SC)が入っている状態です。
ピットインしてタイヤを替えたり雨用のセッティングに変更したいですが、いつSCが解除になるかもしれないし、また晴れ間が見えるかもしれない。 どのドライバーもできるだけ我慢しようと考えているんです。
で、元の記事に戻ってデトロイト・スリーの今後ですが、
今後の新しい経済は、起業家精神と技術革新からしかうまれない。巨大な官僚システムが蔓延るGMや、強欲なプライベートエクイティファンドに経営されるクライスラーが新時代を担う新鮮な企業に脱皮すると想像することは、筆者には不可能である。
この2社に比べれば、創業家が意地を見せ、何とか国に頼ることなく生き延びようと努力するフォード・モーターはまだ蘇る可能性がある。GMとクライスラーには破産法を申請させ、フォードのみ生き残るというのが現実的な策ではないだろうか。
2社に比べればフォードがマシに見えるというだけで、腐ったリンゴであることには変わりないと思いますけどね。
「米国は民族系自動車メーカーを必要としているか?」を問い直すべきではないかと思います。