山口百恵は10代から、自分で作詞・作曲家を指定していた

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時代を駆ける:宇崎竜童/6 「百恵」という頂点、目指した - 毎日jp(毎日新聞)

僕はもう忘れていたけど、彼女の番組に僕が呼ばれたとき、彼女をイメージして曲を作ってカセットに入れて渡したらしい。それを聴いて、こんな優しい歌を作ってくれる宇崎さんと阿木さんにぜひ、ってことだったらしい。「じゃあ、谷村(新司)さんの(作詞作曲のヒット曲「いい日旅立ち」)は?」って聞いたら、「ええ、私のほうからです」って。それに、さだ(まさし)さんの(作詞作曲のヒット曲「秋桜(コスモス)」)もだって。何度も言いますけど、彼女、10代ですよ。(中略)
 
<山口百恵という歌手は、宇崎さんの「さよならの向(むこ)う側」を歌い終わって、ステージにマイクを残して引退した>
 
ヒットを義務づけられた作業でしたからプレッシャーの連続でした。だから、山口さんがマイクを置いたのを見たときため息が出た。はー終わった、もうかかないでいいというのと、それから逆に、もうかけないのか、残念っていう、いろんなもんが、ない交ぜになって。

よく「時代の精神が乗り移る」といいますが、山口百恵はまさに巫女さんだったのですね。