2009年も暮れようとしていますが、昨年の今頃はマレーシアに出張中でした。
海外で年を越したのは初めてで、KLのツインタワーで見たカウントダウン花火など思い出深いです。 でもやっぱり年越しの実感はなくて、少々寂しかったのもまた事実です。
2年間のマレーシア支援業務で渡航回数は10回ほどでしたが、自分自身も勉強になることも多かったです。
K氏は自分が支援していた部門の前工程の駐在者で、自分より6つほど年上でした。
マレーシアの前はインドネシアの工場立ち上げに関わっていて、もう10年くらい海外の仕事をされているとのこと。
仕事の面では「他人にも自分にも厳しい」方で、後工程の駐在者や自分とは、緊張関係に陥ることもしばしばでした。
それでも、出張に行けば毎回食事やカラオケに連れて行ってくれたりして、プライベートでは楽しくお付き合いさせていただきました。
一番思い出深かったのは、フィリピン・カラオケで飲んでいる時に、会社から設備トラブルの電話があったときですね。 既に0時を廻っていて、二人でシーバス1本空けるくらい飲んでいたのですが、自分をホテルに送ったあと、会社に戻って対応したそうです。 ちなみに運転手は付いてません。
あとチャイナタウンにある、日本人が行かないようなバーに連れて行ってくれたこともあります。 マスターが音楽が好きだということで生演奏のステージがあるのですが、学生時代から音楽をやっていてヤマハのポプコンの本戦に出たこともあるらしく、気が向いたときにはドラムを叩いたりすると言っていました。
仕事の厳しさの一面、飲み屋のお姉さんとフレンドリーになるのも早かったです。 オフではインターンシップの学生の面倒もよく見ていました。 食事や呑み代は全て出してくれてました(こちらが出そうとしても「必要な時はいうから」と受け取ってくれない)。
せめてものお返しにと、出張のたびに欠かさず土産を持っていったものです。
10月末で駐在の任期が切れて帰任されたと聞いたので、いずれ飲みに行ったときは奢らせてもらおうと思っていました。
12月はじめに人事異動のお知らせを見ていたら、K氏と同姓同名の方が載っていました。 内容は短く、「死亡退職」と。
慌ててマレーシアの駐在者で一足早く帰任された方に確認を取ると、K氏本人だということでした。 帰任してまだひと月にもなっていないというのに...
前の週には、歓迎ゴルフコンペにも出て、何も変りなかったそうです。
死因は心不全ということでしたが、K氏がもう居ないということに比べたら、そんなことはどうでもいいことです。
もう借りを返すことは出来ないんだなと思うと、ただただ悲しく、残念です。
2009年の一番印象深い出来事が、こういう悲しい知らせだったというのは本当に残念なのですが、いつかまたマレーシアに行くことがあったら、K氏の魂のいくらかがそこに残っているのではないかと探してみたいと思っています。
最後になりましたが、皆さまも良いお年をお過ごしください。