サービスエリアの客はどうしてあんなに醜いのか

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「家族」マーケティングの栄光と落日:日経ビジネスオンライン

サービスエリアの人垣が、あんまり美しく見えないのは、たぶん、彼らが外面を気にしていないからだ。
 
何時間かクルマの中で身を縮めていて、しばらくぶりに外に出る時、人々の気持ちは、まだ、「外界」に適応できていない。というよりも観察するに、そもそも外出用の服装を身につけていない向きも多い。部屋着、あるいは、狭い車内で楽に過ごすための寝間着に近い衣服を着てクルマに乗り込んでいる。
 
しかも、ドアを開けて車外に踏み出す時、乗客はまだ、車内にいた時の、身内同士の、だらしなくくつろいだ気分をひきずっている。当然、パブリックな緊張感を抱いていない。さよう。彼らは、人前に出る際の覚悟を持つことなく、スエットの上下にサンダルをつっかけたみたいな姿で、公的な空間の中に漏れ出てしまっているのだ。
 
のみならず、彼らのうちの半数ほどは、周囲が見えていない。差し迫った尿意が視界を狭めている。だから、おもむろに車道を横断したりもする。通路に駐車する運転手もいる。つまりマナーが守れない。ふだんは折り目正しく暮らしている人々であっても、だ。

ほとんど「いいがかり」に近いですが、それでも納得してしまいますね。
自分も気を付けよっと。

まだまだ続きます。

わたくしども昭和の若者は、クルマに乗ってそこいらへんを走り回るだけのことを、「ドライブ」と呼んで、特別視していた。 (中略)

行き先は、どこでもかまわなかった。
大切なのは、クルマに乗っているという事実ないしは状態で、だから、われわれが行き先に選んだのは、三浦海岸の突堤や羽田空港の駐車場みたいな、象徴的な「場所」だった。つまり、ドライブの主眼は、目的地にではなく、クルマに乗っているという過程そのものにあったのである。(中略)
 
だから、クルマ好きの若い男たちは、狭くて乗り心地が悪くて、燃費が最悪でも、スタイルの良い、押し出しのきくクルマを選んだ。より低い構えの、より速い、できればセクシーなクルマを。ヘッドクリアランスとか、ニースペースだとか、そういう述語は知らなかった。そのくせ、ただの排気音をエキゾーストノートと呼んだりして悦にいっていた。愚かな消費者。わたくしどもは、大企業のマーケティング部が夢に見るような理想的なカスタマーだった。(中略)
 
で、それらの、20世紀のクルマの夢は、平成の大不況を経て、ミニバンに着地した。
ミニバンの魅力は居住性と利便性と実用性――ということはつまり、クルマは、めぐりめぐって鍋釜やテーブルと同じような、日常の道具の仲間入りを果たしたわけだ。
 
クルマは、エクステリア(外観)よりも、インテリア(居住性)を重視する方向に進化した。
ということは、外に向けた顔であることをやめて、内向きの部屋のようなもの、あるいは内と外を隔てる「壁」に似たものに変わったわけだ。

今になって思うに、『NAVI』は小田嶋隆に原稿を頼むべきだったんだな。 いや、それでもクルマをめぐる状況というのが二度とは昔に戻らない以上、『NAVI』のような雑誌が生き残る余地はないのでしょうが。

でも、とにかく、クルマが男の個人的な虚栄心の担い手であった時代が終わったことだけはたぶん事実だ。だったら、男の気持ちをいくらそそってもクルマは売れないぞ、とマーケッターは考える。
 
母と子が二人で歌う設定のCMもあった。
結末は「ケンタきゅんきゅん、ママにきゅん」という子供のセリフ。それにカブせるタイミングで、ママが「イエイ!」と呼応する。
 
この「イエイ」のタイミングが私にはなんとも薄気味悪く感じられたのだが、そこはそれだ。個人的な好き嫌いを申し上げても仕方がない。きっとあれは、セカンドカー需要を睨んだ冷徹なマーケティング調査を具現化した良くできたCMで、きゅんきゅんできなかった私は、何かを取り違えているのだ。

あー、あのCMは確かにゾッとするわ。 安田成美、大丈夫か?
「ママにきゅん」って... おふくろに「きゅん」って何やねん!? キモイわー。 と関西弁になってしまうくらい、自分も薄気味悪かったです。