【トヨタ品質問題・識者の見方】トヨタはいかにして品質を鍛え上げ,そして道を誤ったのか - クルマ - Tech-On!
後に佐吉の長男でトヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎の手によって,佐吉の精神は5項目からなる「豊田綱領」として明文化された。従って,豊田綱領は佐吉だけの精神とはいえない。喜一郎の経営に対する想いの丈も込められた合作だと見るべきだ。第1項目の「産業報国」という語句に始まり,第5項目の「報恩感謝」で締めくくられているように,佐吉と喜一郎の根本精神は「人と社会に奉仕する」使命感であったといえよう*1。
豊田綱領
一、 上下一致,至誠業務に服し、産業報国の実を挙ぐべし。
一、 研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし。
一、 華美を戒め、質実剛健たるべし。
一、 温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし。
一、 神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし。
いま見ても、簡潔にして本質的な内容ですね。
このような素晴らしい綱領を、トヨタは捨て去ってしまいます。
ところが,1992年に7項目から成る「トヨタ基本理念」が新たに制定されたことで,創業理念である「豊田綱領」はお蔵入りとなった。新理念は,豊田綱領の精神をくんで現代的かつ具体的な内容になったが,その分,精神性が薄まった。経営理念は,場面を選ばず広く適用できる汎用性が重要なので,精神的な表現にすることが重要であり,具体的に書けば書くほど汎用性が乏しくなる。確かに豊田綱領はいかにも古めかしく,「神仏」という言葉も使っているので,現代に合わない面もある。しかし,そこは解説書などでカバーできることである。「神仏とは,現代的にいうならば地球と宇宙のことである」といったように解説すれば済む。
トヨタ基本理念
1. 内外の法およびその精神を遵守し、オープンでフェアな企業活動を通じて、国際社会から信頼される企業市民をめざす。
2. 各国,各地域の文化・慣習を尊重し、地域に根ざした企業活動を通じて、経済・社会の発展に貢献する。
3. クリーンで安全な商品の提供を使命とし、あらゆる企業活動を通じて、住みよい地球と豊かな社会づくりに取り組む。
4. 様々な分野での最先端技術の研究と開発に努め、世界中のお客様のご要望にお応えする魅力あふれる商品・サービスを提供する。
5. 労使相互信頼・責任を基本に、個人の創造力とチームワークの強みを最大限に高める企業風土を作る。
6. グローバルで革新的な経営により、社会との調和ある成長を目指す。
7. 開かれた取引関係を基本に、互いに研究と創造に努め、長期安定的な成長と共存共栄を実現する。
「トヨタ基本理念」は項目が増え,理屈っぽくなったので,なかなか覚えられない。しかもその後,「トヨタ行動指針」「トヨタウェイ」「CSR方針『社会・地球の持続可能な発展への貢献』」が次々と制定された。指針や方針がこんなにたくさんあっては,とても覚えきれるものではない。創業理念や経営理念は,企業における最高の“遺伝子”であり,すべての社員の行動様式を司る。理念は,社員の頭に常駐してこそ意味がある。覚えきれない経営理念は紙切れ同然。そういう点で「豊田綱領」は大変優れたものであった。覚えきれる範囲の5項目の中に,行動指針もトヨタウェイもCSR方針もすべてが網羅的に凝縮されている。トヨタが1992年に豊田綱領を捨てたことが,トヨタの変質と品質悪化の始まりだと見る。
1992年というと、豊田章一郎から豊田達郎に社長が代わったころですね。 バブル崩壊で右肩上がりの成長が終わり、グローバル化に対応していかなければならないということで、企業を変革しなければ生き残れないと言われていました。
ホンダも確か1991年頃に、川本信彦社長が社是と基本理念を変更していたと思います。 ホンダの基本理念は、「人間尊重」と「三つの喜び」の2つだけです。
話は戻って、
トヨタの変質が端的に現れた出来事は,1999年のF1参戦表明と,2000年の富士スピードウェイ買収であった。F1は,一般のモータースポーツと異なり巨額の費用が掛かるし,かつて常勝であったホンダチームでさえ近年は欧州メーカーになかなか勝てない時代になっていた。創業以来,豊田綱領にあるように「質実剛健の精神で産業報国する自動車を造る」を理念としてきたトヨタのF1参戦はあり得ないことだった。結局,わずか10年で優勝することなく撤退したが,一体この10年間でどれだけのお金をドブに捨てたのか? それは「産業報国」といえるのか?
トヨタのF1参戦を推進したのは,1995年に同社の社長に就任した奥田碩氏である。F1参戦に反対する歴代社長の豊田英二最高顧問と豊田章一郎名誉会長とのあつれきはよく知られた事実だ。章一郎氏は「F1に勝とうと思って,自動車会社を興したのではない」とまで言ったが,新しい時代の若者の意思を尊重した奥田氏は押し切ったもようだ(中部読売新聞2001年8月31日付朝刊)。
奥田氏は,F1参戦だけでなく,急激な海外展開や開発期間の大幅短縮の仕掛け人でもある。それらの成果によって,初代「プリウス」を当初予定より2年も早い1997年に世に送り出したという功績もある。「長期雇用あっての成長だ」とか「従業員の首を切る経営者は腹を切れ」などの発言は,長引く経済低迷で意気消沈していた日本を元気にした。しかしトヨタは,奥田氏の指揮の下に猛烈な拡大路線に突っ走り,100年続いた米ビッグスリー体制を瓦解させた。佐吉の語録に「沈鬱遅鈍(ちんうつちどん)」という言葉がある。拙速よりも巧遅を重んじるという意味である。「石橋をたたいても渡らない」と揶揄(やゆ)されたかつてのトヨタの大きな変貌(へんぼう)であった。
個人的には、奥田碩は大嫌いです。 でも、国内シェア40%を割って沈滞していたトヨタを若返らせたのもまた事実です。
おそらくあまりにエラくなりすぎて、最高顧問や名誉会長ですらブレーキをかけることができなくなってしまったのでしょうね。 院政を敷いていたとはいいませんが、後継の張富士夫や渡辺捷昭もその影響下にあったと思いますので。