暗いニッポンを吹き飛ばせ! 「水野劇場」第2幕、阿吽が分かるチームが強い:日経ビジネスオンライン
水:組織とチームは全然違う。言葉とか数字を超えて、残りの4割の感性でつなぐのがチームです。だからチームは“合宿”をするんです。組織というのは、普通の会社で朝9時に出社して夜6時に終わってはいお疲れさんって帰るという成り立ちです。
でもチームは、言葉とか、数字とか、理性のコミュニケーションツールを超えて、感性から生まれる“思い”であったり、それを目指す“姿”であったり、言葉にならないものであえて人と人とをつなごうとするものです。だから良いチームを作るために合宿をするんです。僕らは毎年5月と9月にニュル(ニュルブルクリンク:ドイツの有名なサーキット。過酷なコースで、世界中のスポーツカーが走行テストを行うスポーツカーの聖地)に行って、約3週間近く一緒に暮らします。
もうじき来期の方針やビジョン作成の時期ですが、一日、二日缶詰になって考えることを「山篭り」と呼んでいます。 でもさすがに泊り掛けではやらないですけどね。
クルマの企画段階では、本当に山篭りするみたいですけど。
で、組織じゃなくてチームになったら何が出来るのかということなんですが、
水:ファミリーというよりは、宮大工の仕事の進め方に近いかな。昔の宮大工は図面なんか持たないで、板1枚に墨絵を描いてみんなでつくっちゃおうぜ、とやっていくわけですよ。法隆寺の五重塔なんて、6万点の部品すべてに均等に力がかかり、すべてが均等にたわむようにできている。こんなもの最新のコンピューターで設計したって、誰も実現できやしない。図面になんかできない。
でも、棟梁がみんなを集めて板の上に墨絵をササっと描いて見せて、チームという形の下でその先のイメージを一体化できたら、棟梁のつくりたいものは間違いなく実現する。大地震が来てもビクともしないような素晴らしい建物ができ上がる。棟梁が6万点の部品の一個一個の全部の切り込みをチェックするなんてできっこないですよ。だけど、各部署のチームリーダーと思いが共有できていたら、間違いなくバシっと決まっちゃう。これがチームです。組織とチームの違いですよ。言葉でもない、数字でもない、データでもない。その先につくるもの、求めるものが、いちいち対話をしなくたって、わざわざ説明しなくたって伝わる。感性でつながっているんだ。こういうのが僕はチームだと思う。
F:“感性でつながる”というのは、おそらく日本中の組織の長がそうしたいと思っているはずですけれども、なかなか実現できないでいます。
水:いや、それはできないんじゃなくて、やろうとしてないんですよ。日本人は昔から、お城の大工だって、宮大工だって、家具職人だって、みんなやってきたのに。今では、みんなやろうとしてないんだ。
F:昔はできていたはずなのに、それが何で、いつからそうじゃなくなってしまったのでしょうか。
水:戦後でしょう。戦後、変な経済理論を持ってきて、アメリカ式の組織論を持ってきたからこんがらがってしまった。組織論がなぜ必要かといったら、アメリカは多民族国家だからじゃないですか。価値観の異なる人間を集めて、“会社”という集団で物事を進めて行かなければならないから組織論が生まれた。共通のパラメーターで組織の権限と責任を分解しなきゃ仕事が成り立たない。アメリカではそうせざるを得ないんです。でも日本人というのは、もともと子供の頃から儒教をベースに家族制度で教育されていたから、本来そんなものは必要なかったはずなんだ。現に昔からそうやってきたわけだから。
F:それは“阿吽”と言ってもいいですかね。
水:そうです、その通り。阿吽です。いまどき“阿吽”なんていうとみんなバカにするけれど、阿吽は最高の技術だし、チームの要になるものです。スポーツなんかだと分かりやすい。“阿吽の呼吸”があるチームって勝てるでしょう。
F:確かに。阿吽の呼吸があるチームは間違いなく強い。
水:ああだ、こうだと文句を言って、やることを一つひとつ指示しているチームは負けるし、チームワークなんか生れない。そんな現実を毎日目の当たりにしているのに、何で経営者だとか長だとか言われる連中は、つまらん本を読んでムダな知識を付けて、自分の足元も顧みずに、手前が何者であるかも忘れて、そんな役に立たない組織作りにきゅうきゅうとしていやがるんだ。
確かに、サッカーなんかでいちいち次のプレーを指示していたらプレーできないですからね。 ここにパスが来るはずだと思って、スペースに走り込む訳ですから。
ただ、音楽やスポーツなど即興性が要求されるものはともかく、経済活動において「阿吽」で仕事をするべきなのかどうかは、ちょっと保留ですね。
神社仏閣の建立は、当時としては大規模な事業だったと思いますが、素材や組立技術は現代ほど複雑ではありません。 シンプルなものを使って高度な物を作るのは凄い技術ですが、チェックポイントはそれほど多くなかったのだろうと思います。
宮大工の棟梁は、「阿吽」が判らない弟子はクビにできたでしょうが、今の日本の会社は少なくとも正社員をそう簡単にはクビには出来ませんから。
企業の永続性を考えると、取替え不可能なメンバーを作るのはタブーです。
個人的属性であるカリスマ性に頼った組織運営では、代替わりしたときに行き詰まります。 数年先に水野氏が日産を退社されたときに、後継者が育っていればいいですけど。 桜井眞一郎の後継者だって、ある意味で水野氏まで現れなかったんでしょ?
水:そう。今日よりも明日はもっと良いモノを作りたいと自然に思えるのが日本人。これは、日本人なら誰もが言われるまでもなく自然にそう思っている。でもさ。外人さんが今と同じ給料で、明日はもっと良いもの作ろうなんて思う?明日はもっと給料上げて欲しいとか、家族と遊びたいとか、そんなことばかりを考えているんじゃないの。フェルディナントさんだってそうだろう?いまこうして俺と話していたって、本業の仕事が気になって仕方がない。ああ、あれはこうしたら良くならないかな、あの件は今日中に結論を出さなきゃな、とか常に考えている。
F:(中略)でも最近の若い人たちからは、そうした感覚が減ってきている気がするんですがいかがでしょう。
水:うん。残念だけど減ってきている。
F:明日をよりよくすると言うより、将来に絶望した諦め感、というか……。
水:そう、だからフリーターとか、ニートの人が出てくる。あれは、もう典型的だよね。
F:そうですよね。
水:だけど、本当に日本人が日本人でなくなったときに日本は崩壊する。崩壊するというのは、世界で負けるということです。日本の強みって何ですかというと、僕は単一民族で共通の価値観を持っていることだと思う。これは作ろうと思ったって絶対に作れるものじゃない、アメリカみたいに多民族国家だったら永遠にできないことです。何でこれを武器にしないんだ、と。
この辺は年相応に古い人だなと思いますね。
アメリカン・エキスプレスのロバート・サイデル日本社長はこんなことを言っています。
明日のリーダーを育てることが、 未来をつくることになる|ダイヤモンド・オンラインPlus
米倉 日本では多様性の欠如が企業・組織の発展を遅らせ、近年、日本の存在感を弱めていることに繋がっていると感じます。グローバル化の現在において、われわれ日本人だけが集まってなんでも自前主義でやっていく時代など、とうに終焉を告げられていると思います。
サイデル 多様な考えが存在し、違う考えを受け入れる組織づくりは非常に重要ですし、それが組織の力となります。チームワークは大変価値のあるものですが、時に最善のアイディアはチーム外の人からもたらされることも。多様性とは組織を助ける、イノベーションは多様性から生まれる、と定義してもよいほどです。
ダイバーシティとか言いますけど、まあこれも輸入ものの考え方ではあります。
結果を出せるなら、純血主義でも多民族主義でもどっちだっていいと思いますけどね。