仕事は楽しむべきか?

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仕事なんて楽しいワケがない! プロは客に尽くして喜ぶものでしょ:日経ビジネスオンライン

水:本当の職人ってお客を見ている人なんだよ。だって、一流寿司店の板さんって、自分で食うことなんか楽しんでないでしょう。お客をどれだけ喜ばせるかばかりを考えてるでしょう。それが一流ってもんです。(中略)
 
水:いいですか、人のために尽くせるのがプロ。自分のために楽しむのは趣味。これははっきりしておきたい。自分のために楽しむんだったら自分でカネを払えって。人を楽しませることができるから、プロとして給料をもらえるんだ。ものすごい単純。それが今、趣味とプロとの境目がどこにもない。自分も金持ち気分で乗ってみなくちゃ金持ちの気持ちが分からない、と言うのなら、テメエで金を払えってんですよ。分からない物、未知の物ですら人を楽しませることができるからこそプロなんだ。(中略)
 
F:最近は、“仕事を楽しみましょう”とか、“仕事と趣味の境を取り払おう”という風潮が蔓延していますが。
 
水:仕事を楽しむなんてあり得ない。
 
F:ありえませんか、“仕事を楽しむ“は。
 
水:絶対にあり得ない。それはダメなヤツの言い訳、できないヤツの言い逃がれ。“お客様が楽しむ姿を見て楽しめ”なら分かるよ。仕事を楽しめだって?冗談じゃない。ふざけるな。仕事は苦しいもの、辛いものですよ。楽しみたいんだったら。「ジョイポリス」へでも行ってカネ払ってこいって。ジョイポリスで遊んで給料をもらえますか?もらえるわけないよね。仕事に“楽しむ”ということがあるのとしたら、それはお客が喜ぶ顔を見ることだけだ。
 
F:そこに楽しみを見出す、価値を見出す。
 
水:そうですよ。仕事は苦しいもの。でも、その苦しさの先に、苦しみの結果に、人が喜んでくれる顔があるから楽しいんだよ。

まあ「仕事」をどこまでとするのかの定義にもよると思いますけどね。 「お客が喜ぶ顔を見る」ところまでなら、仕事を楽しんでいると言えそうだし。

本田宗一郎が言った「三つの喜び(買う喜び、売る喜び、創る喜び)」というのと、基本的に同じことを言っているんだろうなと思います。 自己満足(=自分の楽しみ)のために仕事をするなと。

組織論ではなくて個人のポリシーの問題だと思うので、どれが正解というのは論じにくいと思います。 個人的には楽しんだ方がよい結果が出せることが多いですが、成果が出せるならどっちだっていいと思います。 苦しんでやるのが好きなM体質の方もいますしね。

F:仕事は苦しいもの。楽しみたいならカネを払えと。
 
水:そうだよ。仕事なんて苦しみだよ。苦しめば苦しむほど今までにないことができるようになるんだよ。みんなが従来の路線で物を見て判断するような環境の中で、これまでにないモノを作るんだから、それは苦しいよ。だからある時は説得し、ある時は威圧し、ある時は騙し、ありとあらゆる手段を使って新しいものを実現する。新しいことにチャレンジすればするほど、仕事って苦しいものなんだ。
 
F:GT-Rはイヤーモデルをどんどん出す訳ですから、年々進化する。新しいものが出る。するとこれからもずっと苦しまなくちゃならないんですね。
 
水:もちろんそうだよ。でもそれでいいじゃん。その苦しみの先には、世の中を更にびっくりさせて、フェルディナントさんがまた大騒ぎして喜んでくれるはずだというトキメキがある。苦しみとトキメキが同居している。この状態が大事だと思う。トキメキがなくて苦しみだけだと、間違いなく病気になっちゃう。
 
F:潰れちゃいますよね。精神的に。

楽しんではいけないけど、トキメキはなきゃいけないということです。 難しいですね。

F:毎年2割の人が入れ替わる。ものすごく多くないですか、それ。
 
水:多くない。人間の血液と一緒で、放っておくと汚いものがたまっちゃう。時間が経つと“慣れ”と“こなし”の世界に入るから、組織が硬直化してしまう。もちろん、上司からすれば、人を替えないでじーっと維持していくことが一番楽ちんだけどね。
 
F:そう思いますよ。慣れ親しんでいるのですからラクチンです。
 
水:でも、結果的にそれが生み出すものって、慣れと思い込みと惰性なんだ。今度は、これがチームにとって最大の汚点に変わっていくわけ。
 
F:先ほど水野さんが仰った“阿吽”につながる話だと思うのですが、“阿吽の呼吸”がどんどん通じるようになりませんか。長くなればなるほど。
 
水:違う。慣れと阿吽は明確に違う。むしろ慣れると阿吽は落ちてしまう。思い込みになってしまう。水野さんはきっとこう思うはずだ、こう言うはずだとか言って、俺と相談もしないで勝手なことを始めてしまう。こういうことが多発する。現に起きている。
 
F:う~ん、“阿吽”を通り越して“思い込み”の世界に入ってしまう。
 
水:俺は水野さんともう3年もやっているんだからわかる。水野さんもこう言うはずだと。
 
F:思うに違いないと。
 
水:違いないと。「じゃあ何でお前、横同士の連携を取ってないんだ」と聞くと、「いや、もうシャーシの奴も(GT-Rの開発が)長いですから、きっと彼らも同意してくれると思って、もう先に動いちゃいました」と。
ところが、その結果、とんでもない大失敗と、損害が出てしまったりする。
 
F:そういうことがあったわけですか、実際に。
 
水:山ほどある。でもそいつが特別に悪い訳じゃない。よかれと思ってやっていたんだ。それが人の性というものでしょう。

やっぱり「阿吽」でも「横同士の連携」は取らなければならないようです。 当たり前ですよね。 日産ではみんなテレパシーで仕事しているのかと思ったのでよかったです。