過剰な競争はすべての競争参加者に不利益をもたらす

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フェイスブックで友達何人できたかな:日経ビジネスオンライン

学生は、ミクシィとツイッターを複合的かつ重層的に使い分けている。チャットやスカイプを併用している場合もある。それらすべてを同時多発的に立ち上げながらレポートを書いていたりもする。で、携帯のメール着信音が鳴れば、即座にレスを返す。バネ仕掛けの人形みたいに。
 
どうかしてるんじゃないか?
 
と、ハタから見ている大人はそう思う。が、友達の数が多い以上、彼等がネットと携帯に依存するのは仕方のないなりゆきなのだ。
 
学生には、大量の友達がいる。量的にも質的にも、そのボリュームはわれわれ社会人がかかえている人脈とは比較にならない。クラスの友人、サークルの同僚、先輩や後輩、ノートを借りるだけの知り合い、コンパ要員、チケットを売りにくる同窓生、友人の友人、元彼の先輩の妹、元カノの元彼に付いていたストーカー……(中略)
 
同様にして、授業の合間の15分の休み時間に15通のメールを確認し、40人のフォロワーのツイートを追い、30人のマイミクのボイスをチェックしている平成23年の大学1年生は、不当なコミュニケーション依存に向けて駆り立てられている。彼が15分の間に交換しているコミュニケーションの総量は、インターネット維新以前の旧石器大学生が丸一日かけて積み上げていた会話量を凌駕しているはずだ。が、その1年生は、大量のメッセージ交換をこなしながら、1日の終わりには、単に疲弊している。

ウチの会社は職場への携帯電話の持ち込みが禁止なのですが、昼休みにロッカールームへ行くと、床に座り込んで携帯をいじっている若者が多数います。 彼らにとっては、携帯から切り離された生活というのは考えられないのでしょうね。