僕の変化が部下に気味悪がられた理由は、おそらく2つだ。1つは単なる慣れの問題。急激な変化に部下がとまどっている、というものだ。しかし、これは大して深刻ではない。おそらくは、時間が解決してくれるだろう。しかし、2つ目の理由はちょっと深刻だ。
それは、僕が「テクニック」を使って、「ムリをしている」というものだ。だから不自然で、ぎこちない。1つ目の理由に比べて、こちらの方は、ちょっと深刻だ。
例えば、僕が部下の相談にのっている場面が思い浮かべてほしい。課長の僕は既に答えを用意している。「こうやればいいんだよ」と。だから、それを部下に教えたくて、さっきから、うずうずとしている。しかし、それを言っては部下の主体性が育たない。だから、僕は「ムリをして」「ガマン」する。答えをわざと言わずに、コーチング的に質問するのだ。「どうしたらいいと思うのかな?」。そして自己満足する。「オレっていい上司だな」と。
しかし、僕は気づかない。そんな心の内を部下はとっくに見抜いているということに。「小倉さんは自分が考える正解に僕を誘導しようとしているな。質問しているけど、どうせ、小倉さんの考える方向に持っていかれるに違いない。それならば、ストレートに命令してもらった方がまだ手っ取り早いよ」と。
いるいるー、こういう上司。 とってもウザいです。
自分もコーチングの本とか買って読みました。 もちろん、こういう小手先のテクニックだけじゃなくて、もっと大事なことも書かれているのですが、どうしても形から入ってしまいがちです。
結局、実践しませんでしたが。
折りしも本日は賞与支給日。 部下との面談の時期です。 上司の皆さん、気をつけましょうね。
リーダーシップというと「部下を引っ張る」イメージですが、本当は「部下の邪魔をしない」のが最低限で、「部下の障害を取り除いてやる」のが大事でしょう。 それでこそ「部下の力を引き出す」ことができる訳で。
「名選手必ずしも名監督ならず」。多くの組織において、課長のような初級管理職に任命されるのは、多くの場合トッププレーヤー、すなわち名選手である。しかし、そこで勘違いをしてはいけない。彼はあくまで名選手でしかなく、監督としてはド素人。単なるペーペーの新米でしかないのである。しかし、本人はそれに気づかない。そして周囲も彼をかつての名選手として尊重し、下手にみんなで持ち上げてしまう。そこに悲劇が起こる。
そうではなく、自分が未熟な新米であることに気づかなければならないのだ。そして謙虚に一からやり直す。コツコツとリーダー道を1歩ずつ歩み直さなければならない。それがかつての僕には分かっていなかったのだ。
リーダーシップとは「How to do(やり方)」ではなく「How to Be(あり方)」である。つまり、テクニックは通用しない。良きリーダーになろうとするならば、その前に、良き人間にならなければならない。そのためには、人として鍛錬を積み、徳を1つずつ積み上げていかなければならない。そうでなければ部下には通じない。テクニックだけでは底の浅さはすぐに見抜かれてしまうのだ。僕は何度も課長失格の烙印を押されながら、それに気づき始めた。
自分は課長ではないですが、部下のほとんどは年上で経験も豊富です。
「人を見て法を説け」と言いますが、相手に応じて話を変えるのは当然です。
だから「何か困り事はないですか?」、「課題は何ですか?」と教えを請うことにしています。
まるで自治会の会長みたいですね。