お知らせ:元麻布春男氏、逝去 - ITmedia +D PC USER
IT関連の雑誌やWebページで長年に渡って執筆されてきた元麻布春男氏が、6月21日の午後、虚血性心不全で急逝された。故人の遺志もあり、ご親族により密葬に付されたが、別途「お別れ会」の開催に向けて準備が進められている。
元麻布氏は、日本で個人向けPCが立ち上がる時期から今に至るまで、常に最前線で取材を行い、レビューや最新の技術解説、そして業界の企業動向など、現場主義でPCを筆頭にさまざまな製品やテクノロジーを追い続けたテクニカルライターだった。
嘘だと言ってほしい。 エイプリルフールはもう過ぎたよ。 信じたくないです。
元麻布春男氏は、日本における最も信頼できるライターでした。
Computerworld BLOG » Blog Archive » 月刊Super ASCIIと元麻布春男氏
元麻布春男氏の記事で最も印象的だったのは、Windows 2000に関する批判である。Super ASCIIの記事だったと思っていたが、Super ASCIIの休刊は1998年、Windows 2000の話が出るはずはないので、別の雑誌だったのだろう。以降の内容は、元の記事が手元にないのでうろ覚えになることをご了承願いたい。(中略)
元麻布氏は、Windows 2000登場直後(Windows Me発表前)、マスコミが(マイクロソフトの発表を鵜呑みにして)「これからはコンシューマ向けOSも(Windows NT系列の)Windows 2000だ」とアピールしていた頃にWindows 2000を正面切って批判された。
ただし、内容は体験に基づいた事実を根拠にした、極めて常識的なものであった。要するに「私はWindows 2000を使わない、なぜなら私の使っている拡張カードとアプリケーションが動作しないからだ」というだけの話だ。
具体的には、テレビのチューナーカードなど、マルチメディア系の弱点を批判されていた。ただし、形式的には「自分が困るから使わない」ということなのだが、実際にはマイクロソフトの姿勢を批判したものだった。Windows 2000礼賛記事一色の誌面で主張するのは勇気が必要なのではなかったかと思う。
もちろん、マルチタスクの安定性やメモリ管理の強力さについては素直に認めていらっしゃった。筆者は当時既にWindowsの仕事をしており、Windows 2000の批判記事には反発したが、事実に基づく論理的な主張には感心した。IT業界の古いライターの中には、十分な根拠もなく、感情と想像だけでマイクロソフトを批判する人もいる。その点、元麻布氏の記事は無条件に信頼できるものであった。
特にハードウェアに対する造詣が深く、新しいデバイスやハードウェア規格の記事はいつも楽しみだった。これだけの質の高いハードウェア記事が書ける方を、筆者は知らない。もう新しい記事が読めないのは本当に残念である。
フェアだったよね。 自分の意見の限界もちゃんと提示できる人でした。
ASCII.jp:急逝されたジャーナリストの元麻布春男氏を偲んで
元麻布氏はアスキーに在籍していましたが、(少なくとも当時は)純粋に個人のPC/AT互換機ユーザーだったのです。彼はコンピューターもさることながら、フライトシミュレーターに造詣が深く、それがPC/AT互換機を使うひとつの動機だったようです。PC/AT互換機における(その後に多くの人たちが体験するような)ユーザーの世界のことを、彼は一足先に楽しんでいたのですね。
「それなら月刊アスキーで記事を書いてもらおう」ということになり、社内の別部署に在籍したままこっそり書いてもらうために作ったペンネームが、「元麻布春男」だったのです。たしか元麻布に住んでおられたか、月刊アスキーの別室「パート2」が元麻布にあったかといった、そのような理由でした。今思うと、あまりにイージーな付け方をさせてもらって申し訳ない。
当時はいろんな人たちがPC/AT互換機に興味を持ち始めていった頃ですが、それまで私の周囲では、塩田紳二氏のほかは仕事でPC/AT互換機に関わっている人たち程度でした。その後に誕生した「Super ASCII」誌では、編集部の人たちも頑張っていたと思いますが、改めて当時の目次を見ると、笑ってしまうくらい「元麻布春男」と「塩田紳二」の名前が並んでいます。
なんだか「ホビーとして楽しむPC」の時代が、終わってしまったような気がしますね。
ご冥福をお祈りします。