人々は話の内容にではなくて、声のトーンに反応している

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政治家の演説口調が行き着く果て:日経ビジネスオンライン

私が書くつもりでいたお話は、学生の頃、さるデパートの乾物売り場でアルバイトをしていた時に見聞したもので、要は、「人々は、話の内容にではなくて、声のトーンに反応している」ということの実例だ。
 
詳しくはリンクを参照してもらうとして、この時、私は、「声」が人間の集団を支配する力の強烈さに、心を打たれた。人は、話に動かされるのではない。われわれは、声に動かされている。不思議な話だが、これは本当だ。
 
私が受けた印象では、8月29日の代表選も、「声」の闘いだった。すなわち、その日の選挙戦は、「話の内容」や「政策」の可否を問うバトルではなくて、「声」や「話し方」の優劣を競うステージだったということだ。

先日の「アメトーク」の「ええ声芸人」ではないですが、森本レオとか田口トモロヲとか「聞かせる声」ってありますね。 ジャパネットタカタの社長も、種類は違うけどそうかも。

ここから先が面白い。

政策を叫んだところでどうせ誰も聞いてくれないし、難しい話は嫌われる。
だから、どこまでもわかりやすく噛み砕いて、ただただワンフレーズを連呼する。
 
で、行き着く果てが相田みつをだ。
私は、野田さんをはじめとする政治家の中に相田みつをのファンが多いことに、強い懸念を抱く者だ。
相田みつをご本人が邪悪だとか、彼の書き残した作品がくだらないとか、そういうことを言いたいのではない。
ただ、政治家たるものが、自らのメッセージを発信するにあたって、「相田みつを的な手法」を用いることについては、やはり残念な気持を抱かざるを得ないということだ。
 
「相田みつを的な手法」とは、具体的には、「曖昧なわかりやすさ」だ。そう。曖昧なわかりやすさ。最悪のプロパガンダだ。(中略)
 
私は、十何年か前に、ある月刊誌で相田みつをブームに水をかける原稿を書いて、訴訟を起こされた経験を持っている。
だから、これ以上、相田先生について論評じみたことを書く気持は持っていない。
 
ただし、相田みつをの政治利用には、この場を借りて、公式に反対の意を表明しておきたい。

「相田みつをの商業利用」を批評して訴えられたなんて面白いですね。 どんな内容だったんだろう?