近聞遠見:あきらめることはない=岩見隆夫 - 毎日jp(毎日新聞)
3・11からまもなく、1人のベトナム人記者が取材で被災地に入った。避難所で少年にインタビューする。少年は津波で両親を亡くし、激しい寒さと飢えで震えていた。一つのおにぎりを家族で分けて食べるような状況だった。
記者は見かねて少年に自分のジャンパーを着せかける。その時、ポケットから1本のバナナがぽろっとこぼれ落ちた。記者が、
「バナナ、欲しいか」
と問うと、うなずくので、手渡した。ところが、少年はそれを食べるのでなく、避難所の片隅に設けられたみんなで共有の食料置き場に持って行き、もとの場所に戻ってきたという。
記者はいたく感動する。帰国すると、
<こういう子供はベトナムにはいない。……>
と報道した。
根がひねくれているもので、美談はあまり好きではないのですが。
年をとると、「ゆとり世代は」とか若者たちを揶揄するようになってしまう(このblogにも多くあります)のですが、一方で彼らに多くの未解決の問題を残してしまうことに、申し訳なく感じています。
悲劇と苦難のもとでも失われない民族的な強じんさを、一少年の小さな行為から教えられた思いだ。3・11は<第2の敗戦>とも言われるが、平沢は、
「敗戦の時にも同じような話があったんです」
と言う。それは、ある会合の席で、五百旗頭真防衛大学校長がジョージ・アリヨシ元ハワイ州知事から聞いたエピソードだ。
敗戦の1945年暮れ、占領軍の若い将校だったアリヨシは、東京・有楽町の街角で少年に靴磨きをしてもらった。寒風のなか、小柄な少年が懸命に心をこめて磨く。
アリヨシは白いパンにバターとジャムを塗り込んだのをプレゼントした。少年は頭を下げながらそれを袋に収める。
「どうして食べないの」
「家に妹がいるんです。3歳で、まり子といいます」
と答えた。少年は7歳だという。アリヨシは感銘を覚えた。五百旗頭に、
「世界のどこの子供がこんなふうにできるだろうか。モノとしての日本は消失した。しかし、日本人の精神は滅んでいない。あの時、日本は必ずよみがえる、復興すると確信した」
と語ったそうだ。
「家貧しくして孝子顕る」といいます。 良い意味で震災が日本をリセットしてくれればいいのですが。