被災した工場では、そこに勤める多くの現地従業員の自宅も被災し、本来は勤め先どころではなかったはず。被災したある日本企業からは、「数百人単位で人が辞めていくかと思ったが、とんでもなかった」と明かす。
日本に比べれば、平時の工場のワーカーの離職率が高いタイだが、むしろ被災した自宅を放って、工場の復旧作業を手伝いにくる従業員も多かったという。
「今回はタイ人に救われた」
現地の日本企業は申し合わせたかのようにこう言う。タイの大洪水が日本企業の入居する工業団地を襲ったのは、東日本大震災からわずか半年後のこと。抗いようのない、大自然の猛威と悲劇は、多くの日本企業の心身を疲弊させていた。「日本人だけではとても立ち直れなかった」。そんな言葉すら現地では聞こえてきた。
知り合いにもタイへ復旧支援に行っている人がいますが、計画を上回る進捗度でローカルスタッフの頑張りが大きいと言っていました。
「マイペンライ(何とかなるさ)」は、仕事でタイへ行った日本人からすると「計画性のなさ」など否定的な印象を持ちやすい言葉ですが、今回ばかりはそれに勇気づけられたようです。
今回の洪水で、日本企業の中でも最大級の被害を受けたホンダ。被災から2カ月後に全従業員を集めて、再稼働へ向けた清掃活動が始まった。広い工場敷地内はヘドロにまみれ、芝生や木々は枯れていた。設備も大半が使いものにならない。それでも、従業員たちには笑顔が垣間見られたという。
被災した4輪生産子会社ホンダ・オートモーティブ・タイランドの伊東勲副社長は、こうした従業員の姿から、新たな期待を寄せている。
「今回の復旧作業は、ローカルメンバーが主導権を握って進めてくれた。タイ人のマネジメントレベルは相当上がっており、現地化は大きく進展するだろう。今回を機に、ホンダは強くなる」(中略)
東日本大震災がそうであったように、悲劇と困難は確かに伴うが、当事者たちはそれでも強い意志で乗り越えようとしている。それは明るく楽観的と言われるタイの国民性だけで説明しきれるものではないだろう。洪水や震災を機に、日本企業にも次なる成長を描く意志が求められている。
ほんとうの意味で現法が自立できるようになったなら、洪水被害も授業料といえるかもしれません。