日本の灯台50選

あまり「岬巡り」には執着していないのですが、それでもいくつかの有名岬を廻ってきました。
その中に「日本の灯台50選」に選ばれている灯台があります。

ところでその「日本の灯台50選」ってなに?

日本の灯台50選 - Wikipedia

日本の灯台50選(にほんのとうだい ごじっせん)は、1998年(平成10年)11月1日の第50回灯台記念日の行事として、海上保安庁が募集し一般の投票によって選ばれた「あなたが選ぶ日本の灯台50選」の灯台のことである。

制定されたのは、比較的最近なんですね。

自分が見たことがあるのは、

尻屋埼灯台(青森県東通村)
大間埼灯台(青森県大間町)
龍飛埼灯台(青森県外ヶ浜町)
入道埼灯台(秋田県男鹿市)
禄剛埼灯台(石川県珠洲市)
潮岬灯台(和歌山県串本町)
経ヶ岬灯台(京都府京丹後市)
角島灯台(山口県下関市)
都井岬灯台(宮崎県串間市)
佐多岬灯台(鹿児島県南大隅町)

の10件です。 岬には行ったけど、灯台には行ってない(見た記憶が無い)というところは、

石廊埼灯台(静岡県南伊豆町)
御前埼灯台(静岡県御前崎市)
伊良湖岬灯台(愛知県田原市)
佐田岬灯台(愛媛県伊方町)

の4件です。 昔はあんまり興味がなかったんで。 全部廻ってみるというのも面白そうだけど、クリアは相当遠いですね。


ところで「灯台50選」の中には、明治政府のお雇い外国人第1号であったというリチャード・ブラントンが設計したものが多いですね。

そのブラントンが手がけた灯台で気になったのが樫野埼灯台です。

樫野埼灯台 - Wikipedia

「日本の灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンが設計し、1870年7月8日(明治3年6月10日)に初点灯した日本最初の石造灯台である。日本最初の回転式閃光灯台でもあり、その初期の建物が現存している。
 
エルトゥールル号遭難地としても知られている。白亜の無人灯台で、灯台内部へは入れないが外部階段から灯台に登ることができる。吉野熊野国立公園エリアにあり、南紀の素晴らしい景観を一望できる。
 
灯台の周囲には、明治初期に灯台技師のイギリス人が植えた水仙が群れ、また「エルトゥールル号遭難慰霊碑」が徒歩圏内にある。

エルトゥールル号遭難事件とは?

エルトゥールル号遭難事件 - Wikipedia

エルトゥールル号遭難事件(エルトゥールルごうそうなんじけん)とは、1890年(明治23年)9月16日夜半、オスマン帝国(その一部は現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号(Ertuğrul Fırkateyni)が現在の和歌山県串本町沖にある、紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難し500名以上の犠牲者を出した事件である。この事件は、日本とトルコの友好関係の始まりと考えられている。
 
現在、和歌山県串本町の樫野崎灯台そばにはエルトゥールル号殉難将士慰霊碑およびトルコ記念館が建つ。また、町と在日本トルコ大使館の共催による慰霊祭も5年ごとに行われている。

トルコといえば、かつて新潟県に柏崎トルコ文化村というテーマパークがありました。
2度ほど行ったことがあり、お金も掛かった施設でなかなか良かったのですが、経営不振で今は廃墟になっているらしいです。

柏崎トルコ文化村 - Wikipedia

トルコの民族紹介(ベリーダンスの実演等)や特産品の販売、世界三大料理の一つであるトルコ料理のレストランのほか、ケマル・アタテュルクの銅像や子供向けのアトラクションが揃い、毛並みの変わった遊園地として地域からのニーズは高かったものの、新潟県外からの集客は取り込めず、経営状態は改善しないまま行き詰まった。
 
後に跡地を柏崎市が引き取り、入場料を無料として運営続けることとし地元企業が出資した事業体の下で再出発するものの、2004年(平成16年)に発生した新潟県中越地震などにより入場客は激減、再建を断念し再び閉鎖を余儀なくされている。

そのトルコ建国の父ムスタファ・ケマル・アタチュルク初代大統領の銅像の扱いでひと悶着あったらしいのですが、現在はトルコ記念館に移設されているのだそうです。

トルコ記念館 - Wikipedia

トルコ記念館(トルコきねんかん)は、和歌山県串本町の紀伊大島にある博物館。1890年に紀伊大島沖で遭難したオスマン帝国(現在のトルコ)のフリゲート艦エルトゥールル号の模型や乗員の遺品のほか、トルコ政府から寄贈された品々を展示している。

ぜひとも行ってみたいですね。 しばらく紀伊半島にも行ってないし。