野田首相の「やりましょう」発言に安倍ぽかん

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野田佳彦首相は善良すぎる: やまもといちろうBLOG(ブログ)

もちろん、野田政権の支持率が低迷しているのは事実ですし、それに伴う選挙での逆風は相応のものがあるかもしれないのですけれども、今回に限っては追い込まれ解散ではなく、党内の反対も押し切って野田首相が正直に解散にまで持ち込んだというのは結構凄みのある話だなあと思うわけです。
 
むしろ、野田さんが解散の決意を固めたことを相応に早い段階で知らされていたはずの自民党のほうが、選挙は年明けだろうと最後までゆるゆるとした姿勢でいたようにも感じられ、状況分析ミスによって山場である党首討論の場で安倍晋三総裁がしどろもどろに見えるほどの論戦をしてしまう(逆に言えば、もう心に決めちゃったから失うもののない野田さんが大見得を切り迫力が出た)のはいかにもマイナスなんだろうなあとも感じます。(中略)
 
それにしても、解散権を持ち、覚悟を決めたトップは強い、ということを改めて感じました。あの安倍さんをして、そこまで言い切るとは思っていなかったでしょうから。それだけの覚悟を決めるに、どれだけの苦悩を感じたか、野田さんの気持ちは察するに余りありますが、まことに残念なことにその野田さんの決意にいたるまでの民主党があまりにも国益を損ね続けてきたのを国民は知っているので、それでもなお野田さんが良いという人が何%、何割出てくるのかが、このドジョウ救い解散の勝敗の分かれ道になるのでありましょう。来週の各種調査や立候補者リストが楽しみであります。

そりゃ安倍は「解散できなかった」首相ですからね。 解散の覚悟がどんなに重いかなんて理解できなかったのでしょう。

それでもこの酷い3年間を国民に強いた民主党には、一度地獄に落ちてもらいたいです。 話はそれからだ。

解散総選挙が12月16日との話で: やまもといちろうBLOG(ブログ)

どうも途中から幹事長の輿石東さんが外されたのか、あるいは幹事長としての調整能力が乏しいということなのか、あるいは納得づくで置物役を買って出ていたのかは知りませんが、民主党本部は10月末からテレビ広告の枠取りを始めておりまして、テレビ局各社は結構早い段階で12月16日投開票の可能性を聴いて回っておられたように思います。
 
一方で、自民党は1月20日または27日投開票の可能性が高いとして対策を打ち、また石原新党(太陽の党だそうで)や日本維新の会はほとんど確たる情報が取れていなかった模様。まあ、新党立ち上げのタイミングで突入する解散の情報がタイムリーに入っているわけもないとは思うわけですが。知っていたのは結局クソ扱いしていた旧たちあがれ日本だけで、橋下徹さんが平沼赳夫さんとは組みたくないと言いつつも、なんだかんだで平沼園田コンビの永田町情報収集力はいまなお健在といったところなのでありましょうか。

12日の時点でこういう情報は流れていたと思うのですが。


朝日新聞デジタル:「一発で倒す」首相、前夜の決意〈乱流総選挙〉

「身を切る」議員定数削減で自民党に踏み絵を迫りながら、先手をとって自ら宣言する――。「主体的な解散」にこだわった首相の大勝負だった。
 
8月に自民党の谷垣禎一前総裁に「近いうち」解散を約束して3カ月余。「ウソつき」批判で手ぐすねをひいていた安倍氏だが、首相の気迫に押された。首相の逆提案に「民主党というのはですね、改めて思いつきのポピュリスト政党だなと思いました」と、ちぐはぐな答え。首相は「明快なお答えをいただいていない」と切り捨てた。(中略)
 
討論後、岡田克也副総理は記者団に「見事なリーダーとしての決断」と述べて首相をたたえ、「特例公債法成立の確約をとり、定数削減をギリギリまで追求した。政治家としての器の大きさ、小ささが(安倍氏との間で)はっきり出た党首討論だった」と絶賛した。
 
首相は討論で「増税先行」批判にこたえようと、議員定数の削減と議員歳費の削減を自民党にのませ、脱原発で自民党との違いを強調。「覚悟のない自民党に政権は戻さない」と、選挙演説さながらだった。

これを「見事な決断」とか言う人もいますが、バカも休み休み言ってもらいたい。
消費増税法案が通った後と、何か変化があって解散を決断できるようになったかというと、そうじゃないですよね?

今回の解散決断につながる「環境整備」は、8月だろうが自公は飲んだ内容です。 野田首相がやったことは、単に時間稼ぎをしただけの話。

支持率低下に歯止めが掛からず、櫛の歯が欠けるように離党者がポロポロ出る状況で、これ以上はムリというのが解散判断に至った理由だと思います。

人間は都合の悪いことから目を背けるために、自分で自分を騙すことがありますが、野田首相の言う決断理由はまさにそれだと思います。