30~40代、「友達ゼロ」は人としてダメか:日経ビジネスオンライン
--日本人は「孤独は寂しい、良くない」と考え、群れたがる傾向が強い--。そんな見解を持つ人も少なくないようです。仮にそうだとすれば、その理由はどこにあるのでしょう。
諸富:背景には、日本という国全体を覆う「何事も目立たず、周囲と同じことをしなければならない」という同調圧力があるのだと思います。この国では、多くの人が「友達集団や職場集団の構成員と同じ価値観の下、同じ行動をしなければ安定した生活を送れない」と思い込んでいる。そう考える人にとっては「周りと群れて、つるみ、同じことをすること」が最も安全な選択なんです。
--なぜ日本社会には、そこまで強い同調圧力が存在するのですか。
諸富:最大の理由の1つは、多くの人が小学校高学年から中学校にかけて体験する集団生活にあると私は考えています。あの時代、クラスの中はいくつかの“排他的集団”に分かれ、子供たちはいずれかの組織に属さなければ平和な学校生活を送れません。そして、安定して集団に属するためには、とにかく「周りと同じであること」が要求される。「周りと違うと、どんな酷い目に遭うか」、この時期に多くの人は、無意識のうちに体に叩き込まれ青年期を迎えるんです。
自分も出来るだけ目立たずに学校生活を過ごしてきましたが、集団行動というものにものすごく違和感とか拒否反応があって、その折り合いを付けるのが大変でした。
今となっては、それもまた社会人として生きるための訓練だったと思いますが。
今はネットやSNSなどで「直接会ったことのない知り合い」も多いですし、つながりの強度や領域も様々です。
「同じ価値観で同じ行動」に依存しなければならない人って、そんなに居ないんじゃないかしら。
小寺信良「ケータイの力学」:なぜ子供たちはつながりたがるのか(3) - ITmedia Mobile
前回、前々回と引き続き、筑波大学 大学院 人文社会系教授 土井隆義先生のご講演を参考に、子供社会におけるつながりの関係を考える。土井先生の著書としてちくま新書『友だち地獄 - 「空気を読む」世代のサバイバル』はすでにご紹介したが、合わせて岩波ブックレットから出ている『「個性」を煽られる子どもたち - 親密圏の変容を考える』、『キャラ化する/される子どもたち - 排除型社会における新たな人間像』も、現代の子供社会を考える上で参考になるので、合わせてご紹介しておきたい。(中略)
本来インターネット、特にSNSとは、人間関係を多様化するために存在する。ところが2008年頃から始まった警察による非出会い系サイト叩きにより、子供たちはネットで新しい友達を作ることができなくなっていった。したがって既存の人間関係、すなわち学校のクラスメイトといった、教育システムによってたまたま与えられた選択肢の中から、多少気に入らなくても相手に同調し、人間関係をより濃縮せざるを得なくなった。
そこに丁度、LINEが登場した。新しい出会いを促進するものではなく、既存の関係をより濃縮するための装置である。そして子供たちは、より大量の時間的リソースを費やして親友ごっこを続けざるを得なくなったのが、現在のつながり依存の姿である。
ふーん。 大変だね。
道具(SNS)が悪いというよりも、振り回されている人間が悪いのだと思うけど、物心ついた時からそういうコミュニケーションツールを前提に育った人間がどんな大人になるのか、ちょっと興味がありますね。