苦境の日産、裸の王様になっていたゴーン社長 日産自動車編(上) :日本経済新聞
そもそも日産パワー88の前提においた競争環境を、日産はやや甘く見ていた側面があると思います。リーマン・ショック後の08年から11年まで日産は世界販売を大きく伸ばしましたが、これは日産がリーマン・ショックの傷が相対的に浅く、ライバルは傷が深かったことに一因があります。日産は米国のバブル景気にのれず、米国への投資を手控えVプラットフォームに代表される新興国シフトへ傾いていたことが結果として奏功しました。しかも米国メーカーは経営危機、トヨタはリコール問題を抱え、ホンダは天災の影響で動きが取れなかった。しかし、日産パワー88の執行段階に入るとライバルたちが復活し、日産は以前のような成功を収めることが難しくなったわけです。
日産の米国事業の不振の背景には米国市場に精通した人物が運営してこなかったこともありそうです。ドミニク・トルマン氏、コリン・ドッジ氏、ブライアン・キャロライン氏ら歴代の北米日産の経営や販売の責任者は北米事業を熟知しているとは言い難い。また、経営方針にもブレが多く、一貫性の無い経営は販売ディーラーの信頼を損なってきました。にもかかわらず、販売目標だけは常に強気ですので、インセンティブ(報奨金)に頼ってなんとか数字をつくっているが、利益が出ない。利益なき数量追求をやっていたのが最近の日産北米事業の実態です。
プロ野球で首位を走るチームでも、連勝の後に連敗することがあります。 成功体験が次の失敗を生むんですね。
それでも失敗から学んで強くなるのが、真の強者になるのだと思います。