自動車評論家は「ジャーナリスト」か?

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天中殺! 本日はパンクだぁ(8日) | 自動車評論家 国沢光宏

伏木さんの発言が比較的メジャーなWebメディアで紹介され、広まり始めた。こうなるとVWだって黙ってない方がいいと思う。私はどんなに書かれたって全く関係無い。そもそも悪いイメージ持ってる人はいるだろうし。ただ自動車ジャーナリストの仕事がこんなだとダークだと思われたら大きなマイナスである。伏木さんは積極的にフォローすべきだと考えます。

この件に関してはどうでもいいのですが、普段から思っていることがあります。
それは『自動車評論家は果たしてモーター「ジャーナリスト」なのか?』ということです。

そもそも「ジャーナリスト」とは何かということになりますが、

ジャーナリスト - Wikipedia

定義[編集]
 
基本的にはメディアに寄稿する人の事を指す。
 
欧米諸国では大学ないし大学院におけるジャーナリズム教育も盛んに行われており、オンブズマン制度が浸透しており[1]、政府機関が記者会見に参加するためのメディアパスを発行の基準が存在している。フリーのジャーナリストは新聞社、テレビ局、(まれに専門出版社)でジャーナリズムの実務経験を積んだ後で転身するケースがほとんどである。

一方で日本においては「ジャーナリスト」と自称する際の特別な基準は存在せず、ジャーナリストとなるために教育システムや制度は整備されていない。より専門的な分野を得意としていることを示すために、“**ジャーナリスト”(例:国際ジャーナリスト、軍事ジャーナリスト、経済ジャーナリスト、教育ジャーナリスト、芸能ジャーナリスト、中東ジャーナリストなど)を自称することもある。ただし、日本における「ジャーナリスト」は文章を採用するメディアが取捨選択する過程で自然淘汰されることに任せている状態であり、資質や能力に問題がある者がジャーナリストに相応しくないとして強制的に排除されるシステムは存在しない。そのため、文章作成を初めとする能力、資質、倫理観などが欠如している者でも何らかのメディアに寄稿さえしていれば「ジャーナリスト」と自称しても間違いとまでは言えないが、ジャーナリストと呼ぶに値するかの点では議論の対象になる。

「メディアに寄稿できればジャーナリスト」なら、ブログやSMSが発達した現代では誰でもがジャーナリストですね。

報道 - Wikipedia

ジャーナリズムとは、ニュースを収集し、選択・分析を行い、世論形成や定期性などの諸要素を鑑みて、論評・解説を、継統的かつ定期的に流布する過程(時には一回限りの行為)のことである。
 
新聞や定期刊行物は、しばしばジャーナリストによって書かれた特集記事を含む。特集記事を書くジャーナリストはその分野のスペシャリストであることが望ましい。しかしながら、「●●に詳しいジャーナリスト」などと自称する者が本当にその分野に精通しているのか否かに関しては、クリティカルシンキングをする必要がある。具体的には、「環境問題や原子力問題に詳しいジャーナリスト」などと自称している人物が、本当に原子力工学など理工系の素養が要求されるような分野に精通しているのか否かは、鵜呑みにしない必要がある。

ジャーナリストと聞いてイメージするのは、やはり倫理観とか正義感を持ち合わせている人ですね。

ジャーナリズムが追うべき“正義”とは何か | 日本人としての教養 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

滝鼻:私はジャーナリズムの目的は何かというと、正義の実現にあると思っています。ジャーナリストには、「何が正義か」についての柱となる考えがないといけません。正義という基準を持っていないと、ニュースの価値を決めるときにも困ります。法律は必ずしも、正義の実現にはつながりません。正義の実現と乖離した法律もいくつもあります。

不当な圧力や利益誘導の誘惑に耐えて、本当に書くべきことを書くのがジャーナリストなんだろうと思います。

なんでこんなことを書くのかというと、商業媒体に寄稿する自動車評論家の多くはアゴアシ付きのメーカーの試乗会に呼ばれる訳です。 あれはほとんど接待みたいなものですよね?
もし新聞記者が取材対象から同じような接待を受けていたら、その記者の書く記事の信憑性は著しく低いものとなるでしょう。

「報道」と「広報」は違う、という意見もあるでしょうが、最近流行りのステマ(ステルス・マーケティング)に対する厳しい目を見てても、「この取材をするのに、私はこういう便宜を受けました」というのを記事にちゃんと明記すべきじゃないかと思うんですけどね。

それが出来ないならジャーナリスト面せずに「しょせんは提灯持ち」と割り切ったらどうかと思う次第です。