「仕事の速い人」はなぜすぐ腹を立てるのか | 職場の人間関係学
今日、世界には情報が満ち溢れている。しかし、私たちは複雑な世界をなんとか理解しようとして頭を働かせる。(中略)人間の認識力や情報処理能力には限界があり、周囲の人々や出来事をできるだけ単純化して理解しようとする。複雑な現象を構造主義的に思考して、その現象の裏側にある根本的な原理を発見するならば、私たちは世界を再発見できるだろう。
しかし、構造主義的な思考は、煩わしく、時間もかかるために、ステレオタイプで人間や出来事を理解して、大量の情報を短時間で処理しようとする。たとえば、ある営業所の売り上げが落ちてきたとき、「営業所長のAさんでは無理だよ」とか「あの地域は売れないよ」などと、問題を単純化して、営業所長の首をすげ替えたり、商品構成を変えたりする。(中略)
ステレオタイプ的にものごとや人間をみることで、ものごとや人間を「片づける」心理になりやすく、「絶対的な見方」に縛られるリスクを高めてしまう。手早く「片づけて」しまうために、仕事は確かに速くなるのだが、「絶対的な見方」はうつ病や人格障害の温床でもあり、抑うつ、軽蔑、嫌悪、苛立ちなどの情動を引き起こしやすくなる。先に紹介したPNSのスコアが高い人は、ステレオタイプな理解をしやすいという傾向がみられ、かつ、神経過敏な傾向もある。つまり仕事の速い人(もちろん仕事の速い人全員ではないが)は、ステレオタイプな思考をしやすく、ちょっとしたことでいらいらしやすくなる、ということになる。
実に正しい指摘だと思いますね。
聞いた話ですが、管理職への登用の研修などでは、物事を大雑把に捉えることを教わるそうです。 細かい枝葉を省いて、大筋を掴めということらしいです。 将来ビジョンなど戦略を考える場合はそれも大事なんですが、日常業務では変化の萌芽は細部に現れます。 図式化した(それは大抵自分に都合の良い)見方では、そのような変化を感じ取れないでしょう。
そういうことなんで管理職に話を理解させるには、こちらが管理職に通じる「言語」を話す必要があります。 この場合の「言語」とは、用語(社内的に普通とは違う意味がある)や、文脈(思考形態)、表現方法(図やグラフ)などを含んだものです。 この「言語」で伝えないと、「何が言いたいのか、さっぱりわからない」と言われてしまいます。
もちろん優秀な管理職であれば、図式化した報告を自分でデコードして、欠落した情報を補完する能力を持ってるんですが、そういう人はあっという間に偉くなるので、残念ながら現場には長くは居ません。
仕事の遅い人は、初めての仕事で戸惑っている人をのぞけば、多様な視点からものごとや人間をみつつ、柔軟に、安定した情動をもって仕事をしている貴重な人材なのである。ディズニーのアニメーションでたとえれば、「くまのプーさん」のような人である。「くまのプーさん」はゆったりと生きているが、ときおり仲間が考えつかないような意見を言って、仲間に新しい気づきを与える。成果主義的人事施策をとると、仕事の速い人を高く評価しがちになる。そのために、せかせかと動きまわる人が多くなり、固定的なものの見方が蔓延し、組織は、あたかも帝国陸軍のように崩壊していく。そのリスクを小さくするために、仕事は遅いが、多様な視点にたち、柔軟に考える人材が必要なのである。
「くまのプーさん」的な人は、PNSのスコアが低い傾向がある。同時に「勤勉性(Conscientiousness)」も低くなる傾向があって、なまけもの的にみられがちでもある。しかし企業が健全に賢明に発展していくためには、不可欠の人材ではないだろうか。
肉体的には弱者である人類が繁栄したのは、遺伝子的多様性によって環境の変化に適応できたことにあります。 人類ほど、個体ごとの背格好、顔かたち、思考、精神などバラつきの大きい生命体はありません。
統制の優劣が死に直結する軍隊ほどではないにせよ、企業もある目的をもって存在するので、社員はその目的に貢献できる人材であることが不可欠です。
そういう意味では、ある程度「型」にはめることも必要ですが、ひとつの価値観で縛っては金太郎飴的な同じような個性の社員ばかりになってしまいます。 道化師(ジョーカー)的な存在を許容できる組織の方が、有事や乱世には強いと思います。
PNSに無関係に仕事が速い人たちがいる。ある仕事に習熟している人たちで、たとえて言えば将棋や碁の名人である。何千何万の指し手から一瞬にして、妙手を考えつくことができる。熟達者は仕事体験と訓練を積み、「記憶」「目のつけ所」「課題に対するアプローチの仕方」などが初心者に比べて断トツに優れている。企業の昇進階段を上っていく人は、熟達という観点からすれば、当然仕事は速いし、そのこと自体は企業にとっても、本人にとってもプラスであろう。しかし、熟達すると、セルフエフィカシー(自分がある状況で、あることができる能力があるという意識)が高まる。セルフエフィカシーが高くなると、その結果受け取る種々の報酬(ポジション、給与、処遇、敬意など、社会的、物質的、心理的な報酬のこと)への期待が高くなる。セルフエフィカシーの高い人が、期待した処遇や敬意を受け取れないと、不平をもったり、憤激しやすくなる。有能な女性が、同じ能力をもっている男性に比べて、昇進ができないとか、給与が安いときの心理状態を思い浮かべていただきたい。
仕事の速い人は、おまけに社会的地位が高いため、自分は自分の意見や感情を表現できる権利があると思いこむことがある。部下が、自分の意見に反対したり、自分が期待している尊敬の気持ちを表現しないと、かっとなってしまう。このような上司は傲慢であるとか、パワーハラスメント的な人と、部下から思われるリスクがある。傲慢はセルフエフィカシーのないことの裏返しの虚勢であるが、セルフエフィカシーと報酬期待のマトリックスから生まれる怒りと誇りと軽蔑のまじりあった情動は、能力と成果の裏付けがあるだけに要注意である。セルフエフィカシーが高くすぐに腹を立てる人には、セルフエフィカシーと、受け取る報酬への期待を切り離すことが有効な処方箋だと思う。
ポストに就いていなくても、自分の能力に自信がある人は「軽く見られる」ことに我慢がなりません。 ネガティブな感情が生まれたときは、自分の心の中を覗いてみる必要がありますね。