勝負師・岡田監督を支えた「ディシプリン」 - 2010 FIFA ワールドカップ - Yahoo!スポーツ×スポーツナビ
「その選択が正しいかどうかは、やってみなければわからない。でも、このチームのことを一番考えているのはオレだから」。岡田監督から、そういう信条を聞いたこともある。とても常人では考えられない大きな賭けは、チームへの責任感からくる究極のリアリズムに裏打ちされていた。世間の評判など気にせず、超現実的な決断を下して決戦に臨む「勝負師」。大会前に批判を重ねていたわれわれメディアも、「1次リーグ突破」という結果を突きつけられ、白旗を揚げるしかなかった。(中略)
10年ほど前、日本のサッカー界では、「ディシプリン」という言葉がもっと頻繁に使われていた。「規律」「共通理解」などと訳されていたが、要するに「選手たちが同じ目的のために、決められた約束ごとを守る」こと。世界のサッカーが欧州に一極集中して以来、数多くの選手が欧州でプレーすること=代表チーム強化と考えていたが、日本とフランスを見れば、必ずしも正しくないことがわかる。控え選手、スタッフらとの団結力を含め、日本の強みは「ディシプリン」にあると改めて痛感した。
もともと「サッカーの代表チームには歴史、文化、教育など、その国のすべてが表れている」とも言われる。岡田監督が作り上げた「一人一人の力は小さいかもしれないが、1たす1を3にする。その中には(リーダーの)私も入っているチーム」は、かつての日本社会にあって、いまは思いだすべき“お手本”ともいえるだろう。
思えばフランスW杯でキング・カズと本田を外したことからも、エゴイストな面は伺い知れるのですが、今回のW杯でもどんなにマスコミに叩かれても信念は変えなかったし、「W杯ベスト4」という目標もブレなかったのでしょう。
もちろん不安や悩みは計り知れなかったはずですが、監督の決意が伝わっていたからこそ、フランスのような内紛が起きなかったのではないかしらん。
岡田忠臣蔵がどんな結末を迎えるのか、楽しみですね。
Business Media 誠:岡田武史氏が語る、日本代表監督の仕事とは
横浜F・マリノスの1年目(2003年)は年間王者になりました。それで2年目(2004年)は「もういいや、こういうやり方は。お前らちょっと自由にやってみろ」と言ったところ、開幕から1分2敗でクビになりそうになりました。「これはマズイな」と思って、選手に「悪かった。もう1回やり方をもとに戻す。今からでも間に合うかどうかは分からないけど」と言ったら間に合っちゃったんですよ。2年目も優勝したんです。
3年目(2005年)は「もういいや。こういうのは絶対やんねえ。こういう風にやったらどうかな」とテストしたら、中位(18チーム中、年間9位)でしたね。僕は3年間Jリーグのチームの監督をやって、1年間はワールドカップの解説をするようにしていました。このリズムが一番生活が安定するんですよね、稼ぎが(笑)。ただ、その年は悔しくて、「自分の殻を破りたい」と思って4年目を引き受けてしまったんです。
それで、「今度はこういうやり方をやってみよう」と思ってやったんです。でも、やっぱりダメだった。それで、その時は自分自身もそう思っていたのですが、表向きは「家族を亡くして、とても戦える状態ではない」ということで辞めました。でも、後で「あの時に本当に自分が理想とするような指導ができて、チームがうまくいったら辞めたかな」と考えたら、「多分やめなかっただろう」と。たまたま家族を亡くしたということを理由に辞めたのですが、実は「俺は自分の指導者としての限界を感じていたのではないか」と思ったのです。
乃木大将みたいに、岡田監督を神格化する必要はないし、してはいけないと思います。 欠点だってたくさんあるでしょう。
この記事は昨年末の講演ですが、W杯前のどん底は岡田監督の計算ずくだったのかもしれないです。
でも、どうです。無心になるために修行を積んでいるお坊さん、銀座でクラブの姉ちゃん相手にいっぱい酒を飲んでいますよ。そんなもんね、簡単に無心になんかなれないですよ。この俗物の固まりみたいな俺が無心になれるわけがないんですよ。ところが、手っ取り早く無心になる方法が1つだけあるんです。何かといったら、どん底を経験するんです。
経営者でも「倒産や投獄、闘病や戦争を経験した経営者は強い」とよく言われるのですが、どん底に行った時に人間というのは「ポーンとスイッチが入る」という言い方をします。これを(生物学者の)村上和雄先生なんかは「遺伝子にスイッチが入る」とよく言います。我々は氷河期や飢餓期というものを超えてきた強い遺伝子をご先祖様から受け継いでいるんですよ。ところが、こんな便利で快適で安全な、のほほんとした社会で暮らしていると、その遺伝子にスイッチが入らないんです。強さが出てこないんですよね。ところがどん底に行った時に、ポーンとスイッチが入るんですよ。(中略)
ところが、その電話をしてちょっとすると、何かポーンと吹っ切れたんです。「ちょっと待てよ。日本のサッカーの将来が俺の肩にかかっているって、俺 1人でそんなもの背負えるかい。俺は今の俺にできるベストを死ぬ気でやる、すべてを出す。でも、それ以外はできない。それでダメなら俺のせいちゃうなこれは。絶対俺のせいちゃう。あいつあいつ、俺を選んだ(日本サッカー協会)会長、あいつのせいや(笑)」と完全に開き直ってしまった。
そうしたら、怖いものは何もなくなった。何か言われても「悪いなあ、俺一生懸命やってんだけどそれ以上できないんでな。もう後はあの人(会長)に言って」という感じに完全に開き直った。本当にスイッチが入るという感じだった。要するにそうやって人間が本当に苦しい時に、簡単に逃げたりあきらめたりしなかったら、遺伝子にスイッチが入ってくるということです。
よく標語が書いてあるカレンダーがあるじゃないですか。ジョホールバルから帰ってきた後、吊るしてあったのをたまたま見ると、「途中にいるから中途半端、底まで落ちたら地に足がつく」と書いてあったんです。その通りなんですよ。苦しい、もうどうしようもない、もう手がない。でも、それがどん底までいってしまうと足がつくんですよ。無心になんか中々なれないけど、そういうどん底のところで苦しみながらも耐えたらスイッチが入ってくるということです。
この話を聞くと、韓国戦での敗戦後の「進退伺い」事件も、同じ延長線上にあるんだなというのがよくわかりますね。
「ベスト4」という目標についても、マスコミも国民もまるで信じていませんでしたが、
明確な目標はもちろん「W杯本大会でベスト4入ることに本気でチャレンジしねえか」ということ。みなさんはいろんな成功の書とか読んで「目標設定って大事だ」と思っているでしょうが、今みなさんが思っている10倍、目標は大事です。目標はすべてを変えます。
W杯で世界を驚かすために、パススピードを上げたり、フィジカルを強くしたりと、1つずつ変えていくと、かなりの時間がかかります。
ところが、一番上の目標をポンと変えると、オセロのように全部が変わります。「お前、そのパスフィードでベスト4行けるの?」「お前、そんなことでベスト4行けるのか?」と何人かの選手にはっきりと言いました。「お前、その腹でベスト4行けると思うか?」「夜、酒かっくらっていて、お前ベスト4行ける?」「しょっちゅう痛い痛いと言ってグラウンドに寝転んでいて、お前ベスト4行けると思うか?」、もうこれだけでいいんです。
本気でチャレンジすることは、生半可なことではありません。犠牲が必要です。「はい、ベスト4行きます」と言うだけで行けるわけがない。やることをやらないといけない。それは大変なことです。でも、「本気でチャレンジしてみないか」という問いかけを始めて、最初は3~4人だったのが、どんどん増えてきた。これは見ていれば分かります。本気で目指すということは半端じゃないことです。それを今、やり始めてくれているんです。(中略)
僕は「バーレーンに負けなかったら、どうなっていたんだろう」「ウルグアイに負けなかったら、どうなっていたんだろう」といろいろなことを今思います。そういうことが続いてくると、何か問題やピンチが起こった時に「これはひょっとしたら何かまたいいことが来るんじゃないか」と勝手に思うようになるんです。もうすぐ発表になりますが、今回もスケジュールで大変になることがまたあるんです。それは確かに大変かもしれない。でも、「ひょっとしたらこれでまた何か良いことが生まれるんじゃないか。強くなるんじゃないか」とだんだん考えるようになってくるんです。
ずっと振り返ってみると常にそういう連続でした。「バーレーンに負けたおかげで今がある」と思います。そして、ふと自分の手元を見てみたら、僕がずっと探し求めていた秘密の鍵があったんです。これは秘密の鍵ですからお話しできませんけどね。秘密ですから(笑)。恐らく僕があの後、どれだけ机の上で勉強してもつかめなかっただろう秘密の鍵が、のた打ち回りながらでもトライしていたら、手の上に自然と乗っていたんです。
目標に到達できると選手たちが本気で思っているからこそ、苦しい状況でもチームが瓦解せずにすんだのでしょう。
いまこうやって講演内容を読み返してみると、岡田監督の基本的な考え方は何も変わっていないですね。 戦術はもちろん相手や状況によって変えるべきものですが、チーム作りは一貫しているのだと思います。
サッカージャーナリストと呼ばれる人たちが、どこまでちゃんとそれを見ていたのかは、大いに疑問が残りますね。