菅降ろしでうごめく永田町の“ダメ”フォロワーたち:日経ビジネスオンライン
組織がうまく回らない時、自分たちのやりたいことができない時、うまくいかないジレンマが組織の空気に漂った時、必ずと言っていいほど、フォロワーはリーダー批判を開始する。「リーダーシップがない」と。
これは政治家に限ったことではない。いかなる組織のフォロワーも同じだ。
・明確なビジョンがない
・口ばかりで何もやろうとしない
・決断が遅い
・人望がない
このように不平不満を止めどなく噴出させるのだ。
不満が募れば募るほど、批判は感情的になり、人格批判へとエスカレートする。リーダーさえ変われば、今、そこにある問題が“すべて”解決されるような錯覚に陥っていく。すべてはリーダーシップがないから。リーダーシップのなさが、諸悪の根源であるがごとく扱われるのだ。
リーダーというのは、言い換えれば責任者です。 責任を取らないで、人をリードするなんてあり得ません。
よって組織に問題があるなら、リーダーは自らの責任でこれに対処する義務があります。
ましてや政治家ほど結果責任が問われる職業もありません。 そういう意味で、管首相が批判されるのは当たり前の話です。
「敗軍の将、兵を語らず」と言いますが、リーダーがフォロワーを免罪符に使うなんてできません。
「組織運営においてリーダーの及ぼす影響力は10%程度で、残りの90%は、部下であるフォロワーの人々の力が左右する」
こう説いたのは、米カーネギーメロン大学のロバート・ケリー教授である。
フォロワーのいないリーダーはこの世に存在しない。リーダーの下には必ずやフォロワーがいて、フォロワーがロボットでもない限り、そこにはフォロワーの行動や心の有様が組織のパフォーマンスの係数として存在する。
ところがどういうわけか、いつの時代もリーダーシップばかりが問題視され、「どこにそんなカリスマ性のある人物がいるのか?」というようなリーダー像が語られてきた。 (中略)
組織のパフォーマンスにフォロワーの力が90%も存在するならば、リーダーの最も大切な仕事は、優秀なフォロワー探し、ということになる。
「優秀なリーダー」を青い鳥なら、「優秀なフォロワー探し」だって同じことです。
「組織のパフォーマンスにフォロワーの力が90%も存在する」としても、残りの10%のリーダーの力しだいで、組織のパフォーマンスがゼロになることだってあるのです。 スポーツの世界をみれば、監督が変わっただけで飛躍的に成績が向上することは珍しくありません(逆も然り)。
「リーダーの最も大切な仕事」は、まずフォロワーの力を引き出すことです。 もちろん戦力補強も並行しますけど、現有戦力の力を引き出せないで「ないものねだり」しても、誰も納得しないでしょう。
優秀なフォロワーであればあるほど、どんなリーダーにもかしずくわけではなく、自らの意思と判断でリーダーを選ぶ傾向が強い。
そして、リーダー選びの基準となるのが、このコラムでも以前に取り上げたことがある、次の3点だ(関連記事:“岡ちゃん”になりたがる、ボスのヒンシュク)。
(1)明確なビジョン
(2)ビジョン達成への誠実さ
(3)批判や意見に耳を傾ける度量
そういえば、その記事も取り上げていましたね。
従業員800人ほどの中小企業を切り盛りしている知り合いの経営者の方がいるのだが、私にはこの方に対してずっと不思議に思っていることがあった。その方はどこからどう接しても経営者特有の押しの強さがない。切れ者って感じの方でもなければ、自分の肩書きを振りかざすところもない。 (中略)
そこで、その方が教えてくださったことは3つあった。
1つ目は、年明けの仕事始めに、今年の目標を全員にプレゼンすると同時に、1人ひとりがじっくり読めるように手紙にして渡す。
2つ目は、週2回、部長・課長クラスから7人程度を会議室に集め、つまみで酒を酌み交わしながら意見交換をする。できるだけ工場にも顔を出し、従業員たちと無駄話をする。
3つ目は、“ではの神”にはならないようにする。「~では、ホニャララと言っている」とか、「オッペケペー理論では……」などと、「~では」を多用しない。自分の言葉を使って、自分の会社のメンバーに伝わる表現を自ら考えて発言するようにしているというのだ。
社長という座にとどまるのではなく、自分からフォロワーに近づく努力を惜しまない。ビジョンがちゃんと伝わるように、伝わったか、と常に内省を繰り返す。フォロワーが耳を傾けるために、時にはお酒の力を借りてみたり。現場で空気を共に吸い、現場のフォロワーの声を無駄話の中に見いだそうとする。
多分、これが優秀なフォロワー探しにつながっているのだと思う。
管理職になると忘れがちですが、部下というのは方針(トップの考える方向性)をちゃんと知りたいと思っているんです。