かくして、長らく共有されてきた「戦後」というのんべんだらりとした時代に、はじめて「震災」という区分標識が穿たれたわけだ。で、震災を経た後の時代については、「震災後」という新しい名前が付くことになり、「もはや戦後ではない」という、本来ならとっくの昔に常識化していなければならなかった認識は、復興が果たされたことによってではなく、新たな国難に直面することによって、国民の間に共有されることとなったのである。
時代が変わるためには、やはり多大なる流血が必要なのでしょうかね?
スクラップ記事で水増しされた日記blog
かくして、長らく共有されてきた「戦後」というのんべんだらりとした時代に、はじめて「震災」という区分標識が穿たれたわけだ。で、震災を経た後の時代については、「震災後」という新しい名前が付くことになり、「もはや戦後ではない」という、本来ならとっくの昔に常識化していなければならなかった認識は、復興が果たされたことによってではなく、新たな国難に直面することによって、国民の間に共有されることとなったのである。
時代が変わるためには、やはり多大なる流血が必要なのでしょうかね?