風知草:岡田は何と戦うのか=山田孝男 - 毎日jp(毎日新聞)
カネもなく寄る辺もない人間は施設に押し込められ、孤独に死んでゆく。その施設さえ見つからず、朽ち果てる人もいるだろう。経済成長の坂の上に花開いた長寿社会の、それが皮肉な現実だ。消費税増税さえ受け入れれば悲惨な晩年に追い込まれずにすむか。「一体改革」にその答えはない。(中略)
介護支援は、十分とは言いかねる年金の受給額が維持されるとか、減額を小幅に食い止めるとかいう財政措置でどうにかなるものではない。
病院や施設に押し込める介護から、自宅でふつうに暮らし、必要に応じて医師やヘルパーがやってくるしくみへ変える。病院や施設のお仕着せに縛られることなく、マイペースを守り、困った時だけ助けてもらう。そういう地域中心の医療・介護に改めるというのが厚生労働省の基本的な考え方だ。
ところが、現在進行中の一体改革は、そういう問題にまったく触れていない。話題は徹頭徹尾、年金財源だ。給付と負担をめぐるエンドレスの算術的議論。それに発する民主党の内紛、与野党対決の展望と衆院解散時期の予測。現実から離れ、政治の影が濃くなればなるほど、国民はシラケていく。
まあそうなんだろうけどさ、しょせん人は一人で死んでいくんだよ。 それは心中しようが同じこと。
孤独死が悲惨だなんだというのは、生きている人間が言うことであって、死んでしまったら関係ない。
子どものいない自分なんかは、今からどう始末をつけて他人様に迷惑をかけないようにするか考えてます。
だからといって、老後の面倒をみさせるために子どもが存在する訳ではないからね。
これだけ国の借金や、過去の問題をツケとして子供たちに残していく訳なのだから、せめて静かに消え去ろうではありませんか。 楢山節考のようにね。