「正しく決定」より「正しい決定」が大切:日経ビジネスオンライン
決定学で大切なのは、正しく決定したかどうかより、正しい決定をしたかどうかです。決定学を理解するうえで、考えていただきたいのは、その決定が誰のためで、何のためかです。これは、常々私が色々なところでお伝えしているモノですが、決定においても大切なのです。なぜなら、その決定が価値ある決定にするための質問だからです。
英語でも、「Doing The Things Right or Doing The Right Things」という言葉があります。ご存じでしょうか。「正しくコトを行う」と「正しいコトを行う」の違いを理解されているでしょうか。似て非なるモノなのです。
いくら「正しく決定」したとしても、それは手段として達成しただけなのです。本来は、その手段により実現される目的が達成しなければなりません。つまり、「正しい決定」の方が上位なのです。言い換えれば、たとえ正しく決定されなくても、正しい決定になっていれば、いいのです。「ルールを守りさえすれば正しい決定になる」とは限らないのです。
よく「政治は結果責任」と言われます。
そういう意味では、今回の「消費税を増税する」という事自体は「正しい決定」だと思います。
問題はそれ以外の部分(行財政改革の実施や消費税の地方税化)だったりするんですが、それはちょっと置きます。
「正しい決定」こそが大事だとすると、手段は「何でもアリ」なのか?
増税という不人気な政策を実行するときほど、「正しく決定」する必要があるんじゃないかと思います。
民主党の党内手続きがどうとか、そういう問題ではありません。
嘘だらけのマニフェストで奪取した政権に正統性はあるのか?ということです。 クーデターで独裁政権を作るのと何が違う?
「結果さえ良ければよし」というのは、民主主義の放棄に等しいと思います。