「検証しない」のは日本の国民性か

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戦後70年に向けて:出動せず/14 正式な検証ないまま - 毎日新聞

日本にはないのに、米国では民間がつくった。手元に、2年前に出たその「オウム真理教:洞察−テロリスト達はいかにして生物・化学兵器を開発したか」(第2版)がある。A4判より小ぶりの65ページ。カラー写真や図表も多く、報告書というより高級外車のカタログに近い。安全保障関連シンクタンクの会長、リチャード・ダンジグ元米海軍長官が中心となった。
 
「洞察」は、オウムが失敗を繰り返しながらも化学・生物兵器を手に入れていく過程を技術的、組織論的、心理学的に分析している。特筆すべきは、執筆者たちが東京拘置所にいるオウムの幹部(多くは死刑囚)に、のべ25回会いに行ったことだ。インタビューしながら彼らに信頼され、拘置所から資料を送られるまでになった。それは<化学兵器製造に至る年表>や<ボツリヌス菌製造のため使用したドラム缶発酵槽の図>といった、当事者しか知りえない迫真の情報となった。本文の最後にこうある。<オウムは過去の歴史である。だが将来、他のテロリストが生物・化学兵器の使用を追求する可能性があると我々は考え、この調査を行った>。テロ抑止への気概が伝わってくる。
 
これを読んだ陸自化学幹部は「悔しい」と嘆いた。「これは、我々日本人がつくるべき報告書だ」。テロリズムが専門の宮坂直史・防衛大教授はこう話す。「オウム事件に強い関心を持って来日した海外の研究者に申し訳ない。それに検証がないと若い世代に伝えられないし、同じ失敗が再び起こる」。そういえば、先の大戦がなぜ起きたのか、どこで間違いを犯したか、国としての検証報告はない。それは戦争をしないための教訓になるはずなのに。

「喉元過ぎれば...」というのが多すぎる日本も、韓国のことは笑えません。