2030年、老人も自治体も"尊厳死"しかない | 真のリベラルを探して | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
やまもと:でも仮に100万人が100万人の老人を支援しますという話になったとしても、その助けられた老人はいずれ死ぬでしょう。死ぬ人は生産しないでしょう。生産しない人に対するケアを厚くすればするほど、社会全体の競争力が失われていきますよね。
湯浅:死ぬ人のケアを通じて、その人のお金が流れていく仕組みや、介護や援助行為自体に経済的付加価値を生み出していけばいいんでしょう?
やまもと:具合の悪い人が全員、介護されるに見合うお金があればその通りですが、実際にはまったくそんなことはありません。どこかで公的支援の枠組みに乗っかるしかない。それに、いずれ死ぬ人のお金をあてにした産業をいくら育成しても、それは国富を生みだすんですか、という議論なんですよ。老人が蓄えた金を介護サービスに回そうといったところで、なかなか成長には繋がらない。文字通り、マイナスサムですから。
このままではおそらく財政的な危機が先に訪れるはずです。最初にシワ寄せがいくのは、生活保護を受けている人たち。そうなると結構本気で餓死者とか、独居老人の孤独死とか、医療ケアを打ち切られた人などが発生するでしょう。そこでこの社会をどうすればいいのか。ちゃんと考えられているようで、実はそこまでの青写真はないんです。
たまに野口悠紀雄とかが「今後は製造業じゃなくて医療や介護で内需拡大」とか言ってますが、バカじゃないかと。 タコが自分の足を喰っているようなものです。 医療や介護は国家財政における埋蔵金みたいなもので、「新たな富」は産み出しません。
数年前に「買い物難民」の団地が話題になりましたが、ああいう現象はどんどん普遍的になっていくでしょうし、都市ですらゴーストタウンやスラム街が出てくるのかもしれません。
ニュースなどで孤独死が騒がれますが、いずれ普通の出来事になって取り上げられなくなるんじゃないかな? 個人的にも別に孤独死で何が悪い?と思っています。 さんざん納税してきたんだから、死後の諸々を税金でやってもらってもバチは当たりませんよ。