財源のはっきりしない政策議論は、そもそもおかしいと思うんだよね: やまもといちろうBLOG(ブログ)
ましてや、国力が下がってきて徴税力が落ちている現状からすると、支出の最適化だけでは難しい側面は多々あると思います。必然的に、国の下にぶら下がっているあらゆる予算の分捕りあいの中で、少子化対策の優先順位は高いはずだ、ときちんと立証し、政策目標を立て、その実現に対する具体的な政策を列挙しながら成果管理をしていく必要があります。
具体的には書いたとおりですが、少子化対策タスクフォースの議論にもありますし、データでも内容がはっきりしていますけれども、少子化対策で有効な対策を(移民を除いて)上から順番に並べると「結婚の促進」「出産・子育て世帯への税控除or給付増」「保育園など育児インフラ増」が政策的には重要だというのは鉄板です。あとは、社会規範として婚外子の容認を進めるであるとかですが、実際のところ、フランスの助成状況などを見ているとパッと見、馬鹿でかいフランス政府の超大規模な社会保障費の中で容認されてて、ここが財政規律の問題でガタッと崩れると一気に婚外子の制度を支える予算がなくなっちゃうんですが大丈夫なんでしょうかと、大丈夫ではない日本の財政を棚に挙げて気になってしまうわけです。
感情的に、必要なのだからやるべきだ、予算を回すべきだと言うのは簡単です。
「財源のはっきりしない政策」というところで記憶に新しいのが、民主党のマニフェストでしたね。
以前に「晩婚化が進んだのは、お見合いを薦めてくるお節介なおばちゃんが居なくなったから」という話を聞いたことがあります。 昔は売れ残った男女や寡婦に世帯を持たせるシステムがあった訳ですね。
ところで、先日ニュースになった教職員数の削減問題についてですが。
教師一人当たりに直してみると、1980年が25.27人。2008年が16.98人ですね。
確かに教師の負担が大きく、残業代が支払われない等の問題はあるわけなんですが、公教育の観点から言えば、教員一人当たりの児童数は児童の減少に伴って減っているのが分かります。
これはブラック企業なんでしょうか? 扱う児童数が4割減少しているのに、教師は1割減です。これで昔に比べて残業が増えたのだ、といっても、資金を扱う側は納得できないのも当然です。何か、予算とは別の問題があるのですよ、恐らく。公教育に於ける人員や予算の問題ではなくて、運用や効率の問題なんじゃないの、ということが分かるでしょう。(中略)
とりもなおさず、これって学校に家庭の躾や仕事を押し付けた結果が、教師の負担となり公教育の効率を引き下げている可能性をまず考えるべきなんでしょうが、どういうわけだか「財務省が悪い」って話になるのは、もう日本には大盤振る舞いする余力がないからです。
そして、これがいま日本が直面している「衰退」とか「公共サービスの切り下げ」とか「貧乏を分かち合う」などの現象そのものだと思います。金が、ないんですよ。人も減っているし、担税力も衰えているんだけど、金を生まない市民サービスを維持したいという話になると無理が来るということです。
教育が「金を生まない市民サービス」なのか「国富を生み出すための投資」なのかはさておき、もっと効率を上げたりある程度のところで見切って「割愛」しないと、これからは無理なんだろうと思います。