震災前までは、原発について、賛成であるにしろ反対を表明するにしろ、明らかな考えを持っている人間は、むしろ世間から浮いていた。
「なんだか、狂信的な感じがしますね」
「なにをアツくなってるんでしょうか(笑)」
と、一般の、お気楽な、お花畑の、考えの浅い、平均的な日本人は、誰にはばかることなく、堂々と、「わかりません」という黄金のファイナルアンサーを申し述べていた。
が、震災前後の苛烈な出来事による混乱とその記憶が、そういうヌルいポジションを許さない空気を運んできてみると、以来、この件について、発言をためらったり、回答を逃げたり、ブレたり、言を左右にしたり、日和ったりする人間は、尊敬されなくなっている。
記事の原題を見て、震災慰霊式での岩手代表の女性や、3.11のNHKスペシャル「"あの日の映像"と生きる」を思い出しました。 記事は相変わらず横滑りしていくのですが。
性急に結論を出さなくても、分からないことを分かったふりしてジャッジするのは良くないですね。
ただ「だって分かんないもん」とお花畑に安住することはもう出来ないと思います。 「何を知らないか」を知り、自分なりのジャッジが出来るように努力することが求められているのでしょうね。