SEALDsは「無垢な子供」?

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【SEALDs】若者のデモはメディアの消耗品【古谷経衡】 (WiLL) - Yahoo!ニュース

もうお気づきだと思うが、「SEALDs」や「ふるえる」デモの学生たちは「裸の王様」でいうところの、王が裸であると告げる子供の役であり、「裸である王」の役が安倍総理である。
 
彼らが二十歳そこそこの社会経験をほとんど有さず、また専門的で体系的な知識も有さない「無垢なる」存在であるからこそ、彼らの放つ「反安倍」「反安保法制」という言葉には真実が含まれている、と周囲の大人は意識的にも無意識的にも考えてしまう。
 
ならば、「安倍が裸だ」と指摘するのは、イデオロギーに汚染された高齢者よりも、無垢な「子供」のほうが明らかに好都合であろう。
 
若者だけで構成される組織が「反安倍」「反安保法制」を叫べば、それらは「王様は裸である」と叫ぶ子供の如きものであり、「反安倍」「反安保法制」という自分たちの主張の方向性は正しいのであるということの担保にするため、その動向に殺到するのだ。
 
主張の貧弱性、幼稚性を度外視して、「SEALDs」や「ふるえる」デモを「若者である」「ギャルである」というだけで、既存の大手マスメディアが取り上げる最大の理由はこれだ。

実は意識高い系だったりする「若者=無垢」なんて図式を信じている人がどれくらい居るのかは別にして、マスコミというのは分かりやすいものに飛びつくというのは確かでしょうね。
なぜならマスコミの中の人は「大衆は無知で馬鹿だ」と思っているから。

で「無垢」は正義か?

私はかつて、政治知識の全くない無垢の交際相手を半ば強引に投票所に連れて行き、その投票先を聞いたことがある。すると、彼女はある過激な団体が主体となった泡沫政党に一票を投じたと明朗に答えた。その理由は、「(党の)名前が面白いから」。
 
政治的リテラシーがゼロの無垢なる人間が、真実を指摘しているとは限らない。いやむしろ、無垢なる者こそが真に危険な行為を、何の警戒心もなく支持することが往々にしてある。無垢なる者の指摘にこそ真実が含まれているとする「王様は裸だ」史観は、「子供は純粋だ」という発想と全く同質のものだ。
 
子供ほど残酷で残忍な存在はいない。子供は平気で虫を炙り殺し、他者を殴って中傷し、物を盗み、取り返しのつかない悪行を行う。悲惨ないじめや暴力、些細な行き違いを原因とする殺人事件は、子供間において決して珍しいものではない。
 
その無垢さゆえの残忍性、幼稚性、世界観の狭隘性は、当然、教育(学習)と人生経験によって徐々に改善されていく。無垢は無知と同義であり、無知を肯定するような言説は間違っている。

その通りだね。 情弱は悪です。