「ポストコロナ/ウィズコロナの世界で、人びとはいまより少し冷酷になるだろう」

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「いつまで"最後の我慢"を続けるのか」これ以上、高齢者のために子供を犠牲にするべきではない 自粛の後遺症を考えたことがあるか | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

今回ですでに2回目の夏だ。だれもこんなに長引くとは思っていなかった。去年の3月頃、コロナが本格化した頃には、まあ多少は余裕を見て2020年9月くらいにはおさまるだろうと思っていた。用心深い人でも、年度開けくらいにはすべてが元に戻ると思っていた。
 
それがこんなに続くとは。しかも1年半たったいま、ほぼ抑え込んであとは残党処理、という状態ではない。ヘタをすると、これからさらにデルタ株の山がくるかもしれない。次もあるかもしれない。ワクチンも鉄壁ではないような話もある。
 
すると当然、だれもが内心思うだろう。これって本当に終わるの? でも、この状態が10年続けられると思っている人はいないはずだ。とすると問題は、いつまで続けるの、ということだ。

「ニューノーマル(新しい行動様式)」というのが一時的なものだと思っていた人も結構いるんだね。
比喩ではなく「パンドラの箱」は開いてしまったのに。

長い記事なんでつまんで紹介するのはご勘弁を。

現場はがんばっている——はい、それはその通りだろう。それについては、みんな感謝している。でも一方でツイッターでは「うちはもう病床埋まっちゃったのでこれ以上できることはありません。暇だー。行動を控えないおまえらのせいで医療崩壊してるけど、ワシら知りませんからね」みたいな居直ったツイートも流れてくる。
 
彼らとしては、危機感を広めようという善意ではあるんだろう。でも、コロナ拡大はおまえらの不心得のせいだ、おまえらの頑張りが足りないからだ、医療はもう何もしません——それは話がちがうだろう。医療関係者に感謝しましょう、みたいな話があったけれど、つなぎのオマケの立場でここまで頑張った一般国民こそ、本当に感謝されるべきだ。というのも、彼らの犠牲こそは壮絶なものだからだ。

「頑張る」のは誰かにホメてもらうためではなく、自分の命を守るためなんだというのが分かってないんだな。
こっちは保険料払っているんだから、適切な医療提供体制を敷くのはアンタ達の仕事。 どんだけ感染者が増えようが対応できるようにキャパ増やせ。 なんて言えないよ。
こういう議論の仕方は、国民の分断を深めるだけのような気がする。

大学の授業がリモートになるのがどの程度「壮絶な犠牲」なのかよく分からないが、入学式や卒業式、修学旅行とか成人式みたいな、人生で何度もない節目の行事はちゃんとやらせてあげたいと思う。
でも「もうすぐ成人式だからつつがなくイベントを開催するために、感染者が急増しないよう大人も若者も年末年始は行動を抑制しましょう」って言う人は誰も居ないんだよね。

こういうとすぐに出てくるのが、人命には変えられないとかいう話だ。コロナで死ぬ人がいるんだから、10年でも20年でも我慢しなさい、というわけだ。
 
もちろん、そうしたい人びとはそうしてくれて一向に構わない。でもほとんどの人は、はいそうですかとは言えないのだ。

新型コロナの脅威はすべての国民に掛かっているけれども、その影響度は一様ではないよね。

個人的には人口密集地に居住・勤務で、テレワークもマイカー通勤もできないような人は、ワクチン接種なしでは感染が避けられないだろうと思う。
そうかといって引っ越しや転職ができる人はごく限られた存在だろう。

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若者なんかは「後遺症は怖いけどあれは運が悪かった奴。若いうちに罹って免疫付けた方がいいんじゃね?」くらいの認識なんじゃないのかな。
そういう人が老人になったとき、肺機能にどのような影響が出るのかは興味はあるね。

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意識の高い人から見れば、あそこがダメ、ここがダメ、それは心得違い、と批判はできるだろう。そしてそれはその通り。でもその批判対象の人びとだって、同じことを思っている。悪いのは他人だと思っている。だから、だれも自分の行動なんかなおさない。よって、全体として対策が特に強化されることはない。だからこれ以上、状況が大きく改善することはないだろう。専門家や政治家がどんな脅しをかけようとも。
 
そして、それはその人たちの主観が、客観的にまちがっているという話ではない。客観的に見ても、それ以上対応を強化しないという行動は、その個人にとっては合理的なのだ。それ以上の予防策なんか、個人レベルではほとんど何の意味もない。個人が追加で感染予防策を講じたところで、その個人にとっての追加の感染リスク低下はほぼゼロだ。

埼玉県に緊急事態宣言が出ていようが、平気で越境してキャンプに出かける自分には他人を断罪する資格はないね。
「バイクでのソロキャンプツーリングで感染する・させるリスクは(地方都市でのマスク有りの日常生活と同程度には)低い」と考えているけど、証明はできない。

自分の職場はテレワークがし易くて恵まれているけれど、もし20~30代の「頑張って昇給、出世するぞ」という世代だったら、「テレワークばかりしてたらやる気がないと思われるんじゃないか?」とか不安になって、必要もないのに出社したりもするかもしれない。
飲み会も40代以降は年に数回だが、20代の頃は週に一度は行ってた。 飲食店でのアルコール提供制限への怨嗟の声を聞くと、世の中にはこんなに「家の外で飲みたいという人がいるんだな」と驚くと共に、そういう気持ちもわからんでもないなと思う。

結局は「怪我と病気は自分持ち」であって、本人に返ってくるんだよ。 これだけ「入院先が見つからず救急車がたらい回しにされて10時間」などという話があるのに、それでも「もう我慢しねえぜ」というなら「運試しならご自由に」というしかない。

口だけは緊急事態宣言と言いつつ、中身はどんどん以前と同じ状況になりつつある。それで患者数が増えたところで、もうあまりできることはないから、と行政も投げ気味だ。でもまだわからないけれど、さっきも述べたワクチンの効果か、死者はあまり出ていないようだ。だったらそれでいいじゃねえか。
(中略)
国民は、××総理辞めろとかハッシュタグで憂さを晴らし、内閣支持率も下がるかもしれない。でも……それだけだ。コロナにかかった? それはかわいそう。一日死亡者が少し増えた? それはご愁傷様。今後の状況を、緊張感を持って注視しましょう。でもそれだけだ。
 
やることはやった、できることはやった。それ以上はもう、ワクチンを打たなかった人が自分で選んだ道であり、それ以外の部分は天災であり事故だ。自動車事故だってなんだって、一応常識の範囲でできることをやって、それでも出てくる被害は事故だ。そりゃあんた、車をすべて禁止すれば自動車事故はなくなる。でも、しないじゃん。それと同じだ。

新型コロナ感染が自動車事故と同じなのは、「運転(行動)次第で起きる確率を減らせる」からでもあるんだよね。
危険予知(KY)運転ができればリスクを減らせるし、漫然運転をしていれば確率は上がる。

コロナの初期の頃、ウィズコロナというのは何か、社会経済的な制約をずっと抱えつつ生きるような話だとみんな思っていた。コロナに日々怯え、みんなが日常的に死を思いつつ暮らすような世界だと思っていた。あるいは、文明そのもののあり方を見直そう、なんて神妙なことをみんなが思うのでは、などという反文明知識人たちもウンカのように湧いて出た。
 
でもおそらく、実際はちがう。 人は何にでも慣れる動物だ。いつも病気や死のことばかり考えてはいられないのだ。コロナは、なってしまったら仕方ない。運が悪かった。他の多くの病気と同じように、そういうものになるはずだ。ポストコロナ/ウィズコロナの世界で、人びとはいまより少し冷酷になるだろう——少なくともその病気そのものについては。そして、かつてとほとんど変わらない生活に戻るだろう。でも、ぼくはそれが本当に健全な生き方だと思っている。

インターネット黎明期にも「民主的な世の中になる」とかお花畑なことを言う人がいたな。
個人的には大都市に人口集中する現代文明が転換したらいいなと思ったけど、それが実現するとは思ってない。

「いまより少し冷酷」になった社会というのは、初期のスウェーデンの対応がそんな感じだったよね。
新型コロナ患者に合わせて過大な医療キャパを持つのは馬鹿らしいし、新型コロナ患者をトリアージするのは悪くない考えだと思う。
予め「あなたの条件だと優先度は3です」とか事前に通知するのもいいかもしれない。 「若者は体力あるんだから基本的に入院させません。自力で回復してね」とか。
そうすると「罹らないように気をつけよう」と思う人もいるかもしれないし。

「我慢の限界、ある意味で当然」尾身会長が若者や自粛疲れの人たちに伝えたいこと(BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース

ーー若者世代からは、若者ばかりに感染対策への協力を呼びかけることに不満の声も上がっています。
 
日本においては諸外国と比べても、多くの人に感染対策へ協力していただいていると考えています。
自主的な取り組みがメインとならざるを得ない日本で、ここまで感染拡大を抑えることができたのは、非常に苦しい状況でも感染対策に協力していただいた人々のおかげです。
ここまでコロナ禍が長く続いていても、しっかりと感染対策を続けてくれる多くの人々に感謝しています。
そうした前提の上で、一部の方々の協力が得られていないこともリアリティですよね。
私は、そうした人を決して非難するつもりはありません。
ですが、聞こえのいいことだけを言ってもリスクコミュニケーションは成立しない。
(中略)
人流をこれまでの5割まで削減してほしい、とお願いしているのは、誰かのためではなくあなた自身のためです。

ムリを承知で、それでも感染を抑えるためには言わなければならないこともあるよね。