2021年11月20日(土)
おはようございます。
今朝は6時半に起きた。 鮭おにぎりを1個食べてすぐに撤収開始。
07:26 結露したテントを拭いたりする必要があるのでようやくここまで完了。
濡れたテントから寝袋やエアマットを保護するために、これまでは45Lのゴミ袋を使っていた。
もっとスマートな方法はないかと思い購入したのがセリアで売っていた食パン(1斤)用のフリーザーバッグ。
エアマットは難なく入ったのだが寝袋の方はギリギリでファスナーが閉まらない。 何度かやっているうちに破れてしまった。 やっぱりゴミ袋が最強だな。
07:43 あとはバイクに積み込むだけなので、お湯を沸かしてコーヒーを飲む。
今年は近場でのキャンプのときはすぐに帰宅してしまうし、ロングツーリングのときはこれまた飲まずに出発してきたので、キャンプの朝にゆっくりコーヒーを飲むのは久しぶりだ。
キャンプ場内でもちらほら紅葉が楽しめる。 少し時期は遅かったかな?
でも紅葉を楽しむのに最も必要なのは「光線」だよね。 多少くすんでいても日差しやライトアップがあれば何とかなる。
「四角い土俵」サイトは意外と固く、表面張力のように真ん中が少し盛り上がっていた。 寝心地はあまり良いとは言えないが、エアマットがあるので問題ない。
問題は湿気た砂がこびりつきやすいことで、多少乾かした程度ではグラウンドシートの砂は取れなかった。 こういうときは洗うに限る。
チェックイン時にもらうカードの注意書き。 2番に物騒なことが書いてある。 こうでも書かないとマナーの悪い奴が多いのだろう。
08:20 駐車場にバイクを取りに行く。
ここの紅葉が一番綺麗かも。 あと1時間したら朝日が完全に当たってよく見えるだろう。
キャンプ場の入り口。 チェックイン時に「門限は何時までですか?」と訊いたら「常時開放です」と言っていた。
積み込み完了。 08:35 出発する。
R410を北上して、08:45 R465へ左折する。 前方に軽自動車が2台。
08:49 ルート設定に従って西日笠方面へ左折。 房総の里山ってこういう感じだよね。
08:53 R465に復帰するがショートカットにはならなかったようで、白い軽自動車だけでなくバイクの集団にも先行されていた。
その前方にはダンプが2台いてフタをしているようだ。
08:59 砂取場でダンプ2台が退場すると、白い軽自動車は端に寄ってバイクを先行させた。 自分も金魚のフンになって一緒に追い抜く。
バイクの集団は県道182号線へ左折していった。
自分はそのままR465を走っていき、09:08 館山道の側道に右折する。 これもR465だ。
09:16 R127との短い重複区間を経て、JR内房線 佐貫町駅前を右折する。
隣の大貫駅まで、R465は内房線にまとわりつくように併走する。 なんでこんなに非効率なルートなんだろう?
昨日から考えていたのだが、千葉県の一般道は走りづらい! 大昔の雑木林のなかを集落を結んでできた道をそのまま車道にしているから、不要にクネクネしているし道幅も狭い。
埼玉県も元は武蔵野の道で似たようなものだが、ちゃんとお金を掛けて道路改良しているので走りやすい。 土屋県政は公共事業の増大で埼玉県の債務を4倍にしたが、圏央道や外環道の整備は一番早かった。
埼玉県の 1.358倍の面積を持ちながら人口は 85.5%でしかないのは、それだけ発展の余地があるのだろうが、道路インフラの未整備が足を引っ張っていると感じざるを得ない。
インフラ投資は長い目でみて利益を考えなければならないと思うね。
09:25 内房線から離れてR465は富津岬を目指す。 実は初めて行くので楽しみだ。
09:28 できるだけ海岸線を走りたいので、R465から左折して下洲漁港方面へ。
路駐しているクルマが多いのは釣り人か。
09:30 布引海岸(富津海水浴場)はいいロケーションだね。 陸釣りしている人も多かった。 車中泊して来ている人もいそうだ。 キャンプは出来ないのかな?
09:32 富津公園の南側道路は松林のなか。 ランニングやロードバイクで走っている人が多い。
富津岬への最後の直線。 いかに突出した岬であるかがよく分かる。
09:34 ここが終点か。 あれは明治百年記念展望塔というものらしい。
駐車場にバイクを停めて案内板を確認。
東京湾海堡の説明。
まずは富津岬の端まで行ってみたい。 堤防に上がる。
バリケードがあるが、その外に出て釣っている人がいる。
振り返って明治百年記念展望塔を見る。
それじゃ覚悟を決めて展望塔に上りますか。 なかなか複雑な形をしているね。
8階まで上がってきた。 息も上がる。 あと1階。
おー、これは高い! 風がなくてよかったよ。
第一海堡は自然の島みたいに見えるが人工島。
第二海堡は要塞然としているね。 灯台が立っている。
第一海堡と富津岬の間は、かつて砂州で渡れた時代もあったらしい。 今も富津岬の北側には砂が堆積しているところがある。
外環側道編へ続く